2011年12月7日水曜日

「私の死亡記事」




著者:著名人100人
by Eiji.K

◇ 各人の業績について自ら評価する人、若いころは評価するところがあったが晩年は見るべきものがなかったとする人、全く評価しない人、諧謔的にユーモアを持って書く人と様々であり、人となりが出て面白かった。

◇ 通夜や告別式は本人の意思で行わなく、散骨等をするという人が多いのが印象的であった。葬儀行為は、本人の意思とは別に家族・親族が執り行うので遺言書等で明確にしておかないと世間の常識に流されるのだろうと思われる。

◇ 享年120歳、135歳という人が何人かいたが、長生きする理由や目的が不明であり知りたかった。

◇ 死亡記事の対象者は各業界の著名人となっている。その著名人の定義が明らかにされていないが、選考基準を明確にすべきではないかと思う。
 ○ 各業界での第一人者
 ○ 学者、詩人、小説家、評論家、エッセイスト、俳優、政治家、タレント
  ・マスコミ等でよく知られている人(テレビ等によく出ている人)
  ・著書数がたくさんある人(100冊以上等)
 
◇ 高校生などの若い人たちに、自分の将来方向を考えるとき、このような企画記事に自分が何十年後に選考されるようになるためにはどのような分野や業界があり、どうすればよいのかの指針として活用されることは有意義ではないかと思うので、若い世代にこの本は、読まれるべきではないかと思う。

◇ ただし、著名人=人生の成功者ではなく、多くの人に知られた存在であるだけでそのことをどう見るかはその人の価値観によるものであることを同時に伝える必要がある。

◇ 一方、一般人(サラリーマン、自営業者、主婦等)が「私の死亡記事」を書こうとしても他の人に知らしめるべきものがないことが普通であるので、書ける実績を持っている著名人は尊敬に値する人なのであろうか。
以上

2011年11月9日水曜日

「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」

著者 大熊一夫
by Eiji.K

◇ 日本の精神病院にかかる現状
・日本の精神病棟は35万床(1993年)で9割が私立であり、地域保健サービスは一部地域を除いては貧弱である。
・日本の精神保健は病院経営の都合が第一、患者の身の上は二の次だ。
・精神病院は基本的な人間性が失われるところである。

◇ 日本の目指すべき方向
・精神病患者の奇矯な態度は、狂気の中から出てきたものではなく、周りの環境から生まれたものである。
・患者の病気にスポットを当てるのではなく、患者の危機的な状況を招い  た社会的・経済的な問題、人間関係の解決が必要なのだ。
・地域保健サービスは精神病院と比べ経費的に安くなる。
・患者を管理するという考え方を捨てることが必要であり、患者を隔離し、薬漬けにすることではなにも改善されない。
・日本の国の課題は、精神病病院のベッド数を10年で半分にし、各市町村は精神病患者がそれぞれの市町村の中で暮らせるような社会資源を作ることである。

◇ 感想
・日本での精神病対応の実態についての知識がなく、何が課題となっているのか把握していないので、作者の指摘している事項についての理解が十分ではないが、作者の主張していることは、正しいのだろうとは思う。
・イタリアを中心としたルポルタージュの本であるが、内容が専門的でありすぎる。また、構成・編集方法が煩雑であり読みものとしてわかりにくい印象である。
・イタリアの精神病院をなくす歴史的経緯は、政治課題そのものであり、イタリアの政情に左右されてきたことがよくわかる。

2011年10月5日水曜日

「父の詫び状」 向田邦子

                  by Eiji.K    

○ 「あとがき」を読んでこの本を書いた意味がわかった。
○ 子どもの頃を中心に家族の思い出を書きたかったと思われる。
○ 文体にユーモアがあることがこの本の良さであり、優れているところである。
○ 子どもの頃の思い出を些細なことまで覚えていられることが不思議である。
普通の人はここまで記憶していることは難しいと思われる。創作部分もあるのではないかと疑ってしまう。
○ 男性の感覚では無理であるが、女性の立場では記憶できる幅が異なるのかとも思う。 

◇ 「父の詫び状」
昭和30年代以前の父権が強かった時代の日常風景
◇ 「身体髪膚」
子ども時代の兄弟を含めた怪我の話
◇ 「隣の神様」
引き出物を直ぐに見ること、父の死に顔に豆絞りの手拭いを掛けたこと、隣の神様を拝むのに7年かかったこと等。
◇ 「記念写真」
現在のデジカメ写真は1風景を何枚とっても後で選択できるが、昔の写真の貴重さを考えると便利さで失うものが多いことに気が付く。
◇ 「お辞儀」
家族のいるところで自分もお辞儀をしたのは、葬儀と結婚式の時である。
◇ 「子供たちの夜」
テレビのない時代は、夜は長く静かであった。
◇ 「細長い海」
最近は、プールがあるせいか家族で海に行く機会がなくなっている。
◇ 「ごはん」
“どんなに好きなものでも、気持ちが晴れなければおいしくない。”
◇ 「お軽勘平」
正月の風景と初めて見た猿芝居
◇ 「あだ桜」
お伽話と祖母の影響
◇ 「車中の皆様」
タクシードライバーとの会話

◇ 「ねずみ花火」
遭遇した死者との思いで話
◇ 「チーコとグランデ」
食品の大小を比べてしまう習い性
◇ 「海苔巻きの端っこ」
端や隅っこでないと落ち着かないという習性
◇ 「学生アイス」
学生アルバイトでアイスクリームを売っていた話
◇ 「魚の眼は泪」
魚の眼の話
◇ 「隣の匂い」
Tは田中角栄か
◇ 「兎と亀」
ペルーでのお正月、澤地女子
◇ 「お八つの時間」
お八つの思い出
◇ 「我が拾遺集」
落し物の話
◇ 「昔カレー」
カレーは子どもの好物であり、様々な思い出と共にある。
◇ 「鼻筋紳士録」
鼻筋の通った人とそうでない人を分類する癖
◇ 「薩摩揚」
10~13歳の鹿児島県の印象
◇ 「卵とわたし」
卵にまつわる思い出

2011年9月7日水曜日

「ふがいない僕は空を見た」  窪美澄

                  by Eiji.K

◇ 本の帯に山本周五郎賞受賞、本の雑誌が選ぶ2010年度ベストテンの第1位、2011年本屋大賞第2位とあり、期待して読んだが、性描写がリアルすぎてあっけにとられた。
◇ 2回目に読んだ時に文章の表現力が優れており、登場人物の感情の機微や、下町的な市井生活感を捉えることが上手いことがわかり、山本周五郎賞受賞は妥当であると思った。  “私は、息子から父親を奪って、彼からは人としての無邪気さを奪ったのだ。自分の手で家庭を壊してしまった罪悪感はいつもおきびのように私の心にあって、ときおり風にあおられて、その火は強くなった。”(花粉・受粉)
◇ 5編の短編で構成されているが、初めの「ミクマリ」に出てくる高校生の斉藤卓巳に関係する人の続編によるオムニバス形式になっている。  (注)みくまり(水分り)=山から流れ出る水が分かれる所 「世界ヲ覆ウ蜘蛛ノ糸」=卓巳の相手である主婦あんず(江藤里美)の落ちこぼれ・退廃的な過去の経緯 「2035年のオーガズム」=卓巳を好きな松永七菜と神童だった兄とその両親 「セイタカアワダチソウの空」=卓巳の友人福田良太のばあさんとの暮らしやあくつ・田岡さんとの交流 「花粉・受粉」=卓巳の母親でたくましい助産婦
◇ 登場人物は、子どもの頃いじめにあっている慶一郎や不妊変態主婦(里美)、優しすぎる高校生(卓巳)、経済的な困窮者である福田良太とホモである田岡さん、父親が出て行ってしまった助産婦等の少しネガティブで少し社会からはみ出している人たちであるが、たくましく精一杯生きているということが感じられ、周りの状況は厳しいが、かすかな希望もあり、暗い中でも明かりが見えることを表現する作者の力量が感じられる。
◇ 現代の高校生たちの性意識・知識は自分たちの時代と比べ、隔世の感がある。これだけ情報化が進んだ結果によるのだろうと思う。 以上

2011年7月6日水曜日

「日本語と日本人」  司馬遼太郎


日本語のルーツは、日本人がどこから来たかと、文化はどこから伝えられたかに依存し、定説はなく、周辺諸国から複数の波が押し寄せてきた結果である。
少数の天才と書き言葉から、日本語は方言から変化してきた。

<井上ひさし・好子>  作家  「吉里吉里人」
・世界の中の日本人より東北人
・国民はフィクション、住民

<大野(おおの)晋(すすむ)> 国語学教授  「日本語の起源」
・日本は島国、農業国、温和で暮らしやすい、「うち」と「そと」に分ける。
・うちの中では言葉はいらない。
・ヨーロッパ=遊牧民=人間の出会い、日本=土着=言葉がいらない
・縄文時代は南方語、弥生時代は北方語
・関西の発音が日本語の元祖、母音が多い、関東は母音を落とす
・玄界灘一つが日本文化のすべてを決定的にしている。(中国化が朝鮮で止まった)

<徳川(とくがわ)宗賢(むねまさ)> 言語学教授  「日本語の世界」
・日本語は開音節(母音で終わる)
・五母音に統一された。(元は三母音、八母音?) 米=クミ、雲=クム
・関東:一年生、教務係、係長、関西:一回生、教務掛、掛長
・文字言葉が言語をコントロールする。(話し言葉に影響する)
・日本語は方言の中から育ってきた。

<多田(ただ)道(みち)太郎(たろう)>  人文科学研究所教授 「しぐさの日本文化」
・室町時代の瑣末主義からできた礼儀(小笠原式礼法)
・普遍的原理ができあがるのは、言葉が通じない、人情も違う、文化性が違うことから。
・日本には文化は起こっても、文明が起こらない。

<赤尾(あかお)兜子(とうし)> 俳人 司馬遼太郎の大阪外語専門学校同期
・和歌は全部ひらがな、俳句は目で読む詩で漢語を使う。
・夏目漱石は恋愛から外交まで論じられる文章を完成させた。
・正岡子規も漢語の少ない平易な文章をつくりあげた。

<松原(まつばら)正毅(まさたけ)> 国立民族館博物館名誉教授 遊牧社会論
・日本語の源流は複数
・稲作文化と日本語
・弥生中期の鹿卜(きぼく)・亀卜から北の方から来た
・竹、絹、茶など照葉樹林文化の江南・雲南から来た
・関東は子音を発音できる人がいた。(渡来人)薬=ksri kusuri
・韻を踏まない日本の詩(谷間でのつぶやき)

2011年6月1日水曜日

「地の底の笑い話」  上野英信


by Eiji.K

◇ 山本作兵衛の挿絵が2011年5月、国内初のユネスコ世界記憶遺産に登録されたのは、この本の影響が大きかったのではないか。

◇ 描かれている対象が、特異な世界であり、経験しないと理解しにくいところがあるせいだと思われるが、作者の論理や表現方法が少しわかりにくい面もあるため、読みずらい処があった。

◇ 昭和30年代まで、北九州地方であのような地獄である悲惨な炭鉱労働が実際に存在していたことが知らされ、取り残された世界を見た感じである。

◇ 今まで、石見銀山、佐渡金山のような囚人が主な労働者で、平均寿命が短いという歴史遺構は見てきたが、それらと同じような状況が現代まで継続されていたことに驚く。

◇ 作者の経歴をみると、京都大学を中退してから炭鉱労働者となり、廃坑後もその地で諸文学活動や記録を継承し、その後のライフワークとしているが、その心情を理解するには、苛烈な炭鉱労働の経験がないと難しいと思われる。

◇ 炭鉱労働者を奴隷的に拘束させる前近代的な仕組みである納屋制度は少し前の「飯場」や「遊郭」、現在の「やくざ組織」に残っている。
この制度から逃れる方法が「ケツワリ」であるが、命がけの逃避行であり、
現在の労働基準法等はそれらの歴史を踏まえて作られてきたことを感じる。

◇ 地底で死者が出た時、そのヤマで働く全ての者が死者に付き添って昇坑するという「死の連帯」意識が書かれているが、その意識は、今回の東日本大震災での遺族捜索の感情と通じる日本人の死者を敬う姿勢として残っていると思う。

◇ 女坑夫が地底で「スラを引く」ためには、言い難い屈辱と痛苦の果てにたどりついた狂気の世界に入らなければならず、狂気に狂う女が美人といわれるという世界とは、なかなか想像できない。

以上

2011年5月11日水曜日

「仏果を得ず」 三浦しをん


by Eiji.K

◇ 文楽を見たことは2回ある(広島にいた時に徳島県での人形浄瑠璃と昨年、京都旅行で)が、伝統芸能を“見学”として見ただけであった。
この小説により文楽の世界を垣間見ることができたのは、知らない世界を見せてくれる小説の醍醐味・良さの一つである。

◇ 伝統芸能を継承することは、その道を極めるために日々精進する世界である。その世界は、厳しい未知の領域であり、徒弟制度、上下関係等堅苦しいイメージがあるが、この小説の登場人物は、各々個性があり、特に主人公の健太夫の行動・感性にユーモアがある。
笑える内容の小説は非常に少ないので、この本は楽しく読めた。

◇ 各演目は、演じる人物像を把握するために健太夫が悩み、それを健太夫が試行錯誤しながら克服していく内容となっており、各テーマを現代の視点から考えていく設定・構成は作者の力量によるのだろう。

◇ “300年以上にわたって先人達が蓄積してきた芸をたった60年で後進たちに伝承し、自分自身を磨き切る自信と覚悟があるのか。”という兎一郎のセリフが伝統芸能継承の神髄であると思う。

◇ 重鎮である帥匠たちは、長時間に及ぶ重要な段を毎日語り続け、力量・体力とも若い健太夫よりも優れているとあるが、人間国宝に該当する人とはそういうものだろう。

◇ 歌舞伎の世界は、血による世襲制度がいまだに守られ、継続されているが、文楽の世界では、研修所出身者にも道が開けているようであり、進んでいると言える。

◇ 表題の「仏果」とは、“仏語で仏道修行の結果として得られる、成仏(じょうぶつ)という結果”であるが、それが得られずとあるので、死ぬまで芸を追求するということをいっているのだろうと思う。

以上

2011年2月2日水曜日

「無名」 沢木耕太郎


by Eiji.K

◇ 作者の父親の思い出を綴っているが、自分の子供の時や青年期の思い出でを語っている面もある。

◇ この本を読むと、私の父親のことを思い出し、比較してしまうことが多かった。

◇ “子供は親のことなどほとんど知らないまま見送る時を迎える。”とあるが、確かに自分の父親のことは父親の幼年期や戦争体験、父親の親のことなどほとんど知らないまま見送っている。
では、自分の息子達に自分のことを知らせてきたかを考えると、ほとんど知らせてはいないと思う。普通の親は、知らせる機会がなく、あえて知らせることは気恥ずかしい気がする。

◇ なお、自分の母親のことでは、それなりに話すことが多かったように思う。(長生きしていることにもよる。)

◇ この小説では、父親は畏怖する存在として親に対するこども(息子)の思いが、思い出を通して色々な場面で書かれている。
このような存在である親は、こどもにとって、ある種の理想像であると思われるが、現代における父親と子の関係をどのようにしていけばよいのかを考えさせられる。

◇ 個人的な父親の思い出
・映画に連れて行かれたこと。 ・家に倉庫を独力で作ったこと。
・川をおんぶされ泳いだこと。 ・勉強しろと言われたことがないこと。
・怒られた記憶がないこと。  ・釣りに連れて行かれたこと。
・仕事のオートバイに乗せられたこと。・父と争ったことがないこと。
・病気のこと。

以上