2014年4月25日金曜日

「赤朽葉家の伝説」   桜庭一樹

平成26年4月2日(水)
by Eiji.K


◇ 久しぶりの長編小説で読みごたえがあった。
  内容は目次にあるとおり3部構成で3人の年代記となっている。
  第1部 最後の神話時代 1953年(昭和28年)~1975年(昭和50年) 
      ■ 赤朽葉万葉
  第2部 巨と虚の時代  1979年(昭和54年)~1998年(平成10年)    
      ■ 赤朽葉毛毬
  第3部 殺人者     2000年(平成12年)~未来  
      ■ 赤朽葉瞳子
  文庫版あとがきで作者は第1部は歴史小説、第2部は少女漫画、第3部は青春ミステ
  リーといっているが、その通りの内容で、山陰地方の時代背景とともに旧家の変遷を描
  いた大きな大河小説となっている。

◇ 赤朽葉家が”辺境の人”万葉を嫁にしたのは、とうの昔に追い出してしまった山奥に消
  えた土着民(狩猟採取の縄文時代人)への負い目を感じ、また、製鉄産業という近代化
  によって引き起こされた事故発生のたたり等を慎めるためという説明があるが、このよ
  うな歴史認識の鋭さや時代考証が随所にあり感銘を受ける。

◇ 特に万葉と黒菱みどりが鉄砲薔薇という架空の花が咲いている亡骸の箱がたくさんあ
  る山に行った場面は幻想的・神秘的でよかった。

◇ 不良少女たちが跋扈していた時代は確かに昭和の終わり頃、存在していたが、どこに消
  えてしまったのだろうかと思う。毛毬の製鉄天使の行動や漫画家の話は実体験がなく、  
  身近に事例等が全くなかったので、感情移入ができず、理解不能であった。

◇ 瞳子の謎解きは現代の話であり読みやすかった。瞳子の悩みは祖母や母のように本家の
  一時代を自ら築き、歴史に名を連ねるようなことができなく、本家の歴史の無邪気な破
  壊者になってしまうという恐れを持っているが、現代の日本の時代趨勢、特に低成長経
  済が今後とも長期間継続すると予測される中では、変化や刺激の少ない時代になってい
  くので、旧家の後継者の共通の悩みとして同情できる。

◇ 赤朽葉タツの存在が際立っており、旧家を取り仕切る要としてこの小説を面白くしてい
  る。

以上

「日本のいちばん長い日」    半藤一利

平成26年3月12日(水)
by Eiji.K

◇ 玉音放送を国民が起立して聞く場面は、映画・TV等でよく見る場面であるが、放送さ 
 れるまでに実に様々な局面があり苦労して放送ができたことを初めて知った。この日が表
 題の「日本のいちばん長い日」というのは誇張された表題ではないと思う。

◇ 玉音放送による天皇の声明では、一般国民は戦争に負け、日本が降伏するということを理解できないのではないかと思っていたが、天皇放送の後に37分にわたりNHK放送局員による「ポツダム宣言の内容」、「聖断の経過」等が放送されていたことがエピローグに書かれており、それにより一般国民は了解できたのだろう。

◇ 満州事変から太平洋戦争までの歴史を今から鳥瞰すれば、軍部が天皇の統帥権を利用し、 
 政治を無視し、すべてを事後承諾の形で専横・独裁してきたといわれているが、このドキ
 ュメントを読む限り鈴木首相等政治家の役割はそれなりに大きく、国家としての諸手続き 
 などは、それまでの近代化の歴史経過を踏まえ踏襲されていたことを知った。

◇ ポツダム宣言受諾の最終判断は時の裕仁天皇による決断が日本の最後の崩壊を阻止し、日本を救うことになったことがよくわかる。優柔不断で臣下の意見を聞くだけの天皇であったら北海道はソ連の支配下に置かれていただろうし、広島・長崎以外の場所にも原爆が落とされていたことが想像できる。

◇ 特に、ポツダム宣言受諾後の日本の国体護持について、天皇が形は変わっても存続できるとの判断を示したことが決定的であった。それがなければ軍部はポツダム宣言受諾を了承しなかったと思われる。その判断を天皇はどのようにしたのか。自らは戦争犯罪人の責任者として極刑になり、天皇制が消滅する可能性が高かった状況にあったはずである。何らかの連合国側の意向についての情報があったのかその点が気になる。軍部にポツダム宣言を受諾させるために天皇として確信はないがあえて言ったことなのか。

◇ 8月14日に宮城内で叛乱が生じ、近衛師団長が惨殺されたとの歴史史実は知らなかった。歴史的にも軍人は叛乱首謀者のような直情型の人達が常に存在するが、職業としての属性から避けられないことなのだろうか。現代においても、自衛隊等へのシビリアンコントロールは機能しているのだろうか。

◇ ポツダム宣言の連合国側にソ連が入っていないことから、ソ連は、日本の捕虜軍人をシベリアへ連行することができたことが分かる。

2014年4月2日水曜日

「流れる星は生きている」  藤原てい

2014/1/15
by Kumiko.O

推薦の理由(次のような思いがあって推薦した)
    アルバイト先で、数学の先生が4人いる。その先生方が尊敬して止まないのが藤原正彦であった。藤原正彦が今日あるのは、「藤原てい」という母があったればこそという言葉に、最初は立派な子供に育てるための秘策があるのかと思い「藤原てい」に興味を感じた。
    この読書会は、自分の好み以外の本に出合えることに意味があると小沼さんがつぶやいていたことが気になっていて、自分の読書の嗜好を打ち破ってみたかった。また、推薦する図書がどのような反応や感想をもたれるかに興味があった。あえて自分の嗜好に反する図書を推薦図書とした。
    正月早々、悲惨な描写も多く、1月の推薦図書としてはふさわしくないのではと思ったが、終戦という時代があって、今があることを考えてみたかった。また、逆境におかれた人間のエゴ、本性、強さ、やさしさなども考えてみたかった。
    この本は、次の推薦図書の「日本のいちばん長い日」とも関連するので合わせて読んでみることで、興味も関心もなかった終戦をめぐるやり取りや、そこで振り回される民衆がいたことが少し理解できた。
    私は、人間模様を描いた小説に惹かれるが、その前にもっと本質的な人間が持っている本能・本性があるのではないか、それは「生きる・生きたい」ということなのか、まだ分からない。

感想
    凄惨、悲惨な場面が多い中で、知恵を使って生き抜いているところに勇気をもらった。例えば、石鹸売り 「私は、石鹸の包みの他に必ず容器をさげて歩いた。・・・味噌、残りの飯などをもらって帰ると子供たちは目を丸くして喜んだ」
    まず、行動することの大切さを感じた。行動を起こさなければ、親子4人生きていけない。
    「私の病気は子供三人の死を意味する。」強い意思
    人間の尊厳とは何か?極限の中で尊厳を保つことができるのか。「「物ごい」をすることを思いついた。・・・私は激しい屈辱と闘いながら、また押してみた」
    良い人ばかりではない。169「あなたがたのような貧乏団と一緒じゃこちらが迷惑しますよ」私はくやしさをこらえて、「ただ、あなたたちの後を犬のようについていくのだからかまわないでしょう」・・・ところがかっぱおやじは私たちがその動向を監視している裏をかいて出発してしまった。「あと五日たったら出発するから用意しておきなさい」と親切ごかしにいっておいて、その晩の遅い汽車でこっそり南下してしまった。

    悲惨な、箇所はとても読む勇気がなくて飛ばしながら読んだ。きっと私の中に嫌なもの、辛いものから目を背けるという習性があるのだろう。そう思うといやなことを避けて生きてきた人間であったと思った。たぶんこの場面の中に私を登場させたなら、きっとエゴイストの「自分かわいい」かっぱおやじにも引けをとらない人間であったと思った。


by Eiji.K

◇ 「あとがき」の中で「引き揚げの話」は夫婦間で禁句になってしまっており、夫である新田次郎の作品の中にもその片鱗さえも書き込まれていないとある。自分の近親者の中にも戦争経験者は多数いたが、戦争の話を聞いたことがない。
  人間は、極限の生死をさまようような経験をすると、その渦中では人間のエゴが露骨に露わになることでもあり、他者に話すことではないのだろうか。

◇ 敗戦で生きて帰れることが困難な逃避行で、頼りになるべき男が兵隊や捕虜にとられてしまい、途方に暮れた女・子供中心での脱出劇では、集団内での相互不信、疑心暗鬼、わだかまり等の厳しさ、いたたまれなさは過酷である。結局、戦争の悲劇を最終的に被るのは女性たちであるという事実をよく示している。

◇ また、成田さんという団長が逃避行の中で置き去りにされてしまう場面があるが、高齢者もまたこのような悲惨な状況の中では女・子供同様、犠牲になったことが多かったのだろうと想像できる。

◇ 苦しい脱出劇の中で引揚者は、どうせ死ぬにしても一歩でも日本に近づいて死にたいという「望郷の念」が書かれているが、この感情は現代の我々には経験がなくわからないが、日本人に共通している大変強烈な感情なのだろうと思う。

◇ 自分の子供たちが飢えているのに他の家族が食事をしていることを見せなければならない状況を作者は“人間のいかなる部分に加えられる残酷よりも食べられないということを自覚させるほど大きな罪はない。”と言っている。
  一昔前の日本では当たり前の光景であったことであるが、現代の飽食の時代では全く考えられないことである。

◇ 母親として子供たちを日本に生きて帰らせるために苦難を乗り越えてきた母性の強さは素晴らしく、故郷に帰り、家族に会う場面は事実に即したことであり感動的である。

◇ 息子の正広がジフテリアに罹り生死不明な状態になり、しかも血清注射を打つ費用が工面できないようなときに、救世病院の医師に時計を1000円で買い上げてもらい息子が助かった話が出ているが、そのような医師(日本人)がいたことは救いを感じる。

◇ 宮尾登美子の「朱夏」はこの小説と同様の内容である。