2008年12月3日水曜日

「証言・臨死体験」

necoの読書会 (2008年12月3日)
「証言・臨死体験」
       著者 立花隆 文春文庫

ナビゲーター:小沼英二

人類の永遠のテーマである“死後の世界はあるのか”、“死ぬ瞬間はどうなるのか”を解く鍵として、死にかけた体験者が経験したことは大変貴重な出来事であり、人間の死の恐怖を緩和または解明することに繋がるものである。

○ 23人の証言内容で一定の共通する部分について
・夢とは異なる実体験として感じること(記憶として鮮明に残っていること)
・長いトンネルを通ること
・川が出現すること(三途の川:川幅は異なる)
・死亡した親類縁者が出てくること(会ったことがない人も出てくる)
・美しいお花畑があること
・今まで経験したことがないほど気持がよいこと
・体外離脱が一部の人にあること

→現代の科学では、脳内が低酸素・低血流・低血糖になると人間の脳内に天然科学物質が排出され、幻覚という防御反応により神経を守ることが実証されている。
⇒人間は最終的には生まれた状態に戻る(年をとると子供に戻る。)ということが事実ならば、次の解釈ができる。
※ トンネル=産道、川=羊水、お花畑・気持ちが良い=子宮

○ 臨死体験は世界に共通する出来事である。
海外では、臨死体験協会も発足しており、事例統計や科学的アプローチが行われ、臨死体験に関する国際会議(1990年)なども開かれている。また、「臨死研究ジャーナル」も発刊され、数千の事例が現在、保管されている。

◇ 感想 
・仏陀、キリスト、マホメット等の宗教者、仏教でいう悟りを得た者は、臨死体験をした人ではないか。
→宗教は死後の世界(霊の存在)があることを説き、現実の苦しみを死後の世界で救う(お花畑に行くこと)ことを共通に示している。
・人間は死ぬ間際に、怪我や病気で痛い・苦しい思いをしていても最後にはそれらを忘れていい気持で死ねるように脳のプログラムがセットされているのではないか。
→サバンナでヒョウやライオンに捕えられたガゼル等の動物が死ぬ間際にじたばたしていない状況をみていると、人間以外の動物でも同様なプログラムがあるのではないかと思う。
・証言の木内鶴彦氏の場合にある子供の時に未来の自分からの声を聞いたとか、19年後に見る情景を事前に見たというオカルト的な現象をどう解釈するのか。
→時空を超える4次元の世界は存在するのか。
・お花畑の花は背が高くなく、いろいろな色の花であることが共通であるが、人間に遺伝されてきたお花畑は何か。
→現代の公園・植物園等がない時代では色とりどりの花が咲き乱れる場所  
は限られ、高山植物ではないか。
・著者も言っているが、沢山の臨死体験を知ることがよい死に方の参考になると思う。


以上

「フィンランド 豊かさのメソッド」

 necoの読書会 (2008年11月5日)
 「フィンランド 豊かさのメソッド」
                著者 堀内都喜子  集英社新書

ナビゲーター:市川 勤

<フィンランドとはどんな国?>
・ スウェーデンとロシアにはさまれた、北欧の国
・ 人口 5百万人、面積 日本-九州(国土の70%は森林、10%は湖)
・ 主要産業 ①森林業 ②金属・エンジニアリング ③情報・通信技術(ICT)
<フィンランドがなぜ注目されるのか>
・ 労働時間は短く、労働生産性が高い。
・ 高い国際競争力(2001~2004年1位、2007年6位)、ノキアなどの有力企業が存在。
・ 学習到達度調査(PISA)で世界一。(年間学習時間は600時間台で日本より少ない)
・ 高福祉、高負担(食品で17%、他は22%の消費税、所得税20~30%)
<フィンランドのバブル崩壊からの復活>
・ 1990年代はじめ 経済危機(不動産価格暴落、銀行危機、失業率20%、住宅ローン14%)
・ 数年で復活した原動力:銀行の改革・再生、IT産業振興、人材への投資(教育制度改革)
・ 予算の重点配分:産学官連携の研究、重点投資と節約

<学力1位のフィンランド方式>
・ 少人数のクラス編成、ボランティアによる教室サポート
・ 教師という職業の社会的地位が高い(質の高い教師)
・ 特別授業でおちこぼれを出さないようにしている。(平均値が高い)
・ 授業料ゼロと学生への生活援助
<税金で支えられた手厚い社会>
・ 納得の教育、医療、福祉サービスや子育て支援(養育手当)
・ 夫婦共働きが普通、年齢より実力主義
<フィンランド文化>
・ スポーツ好き(時間の余裕、施設の充実、スポーツクラブ)
・ 家でも何でも自分で作る(お金と時間のトレードオフ)
・ 森の豊かさ(国の保護と全ての森に、いつでも自由に入る権利の保障)

<日本はフィンランドから何を学ぶべきか!>
・ 人への投資 → 教育(小中高生の読解力・文章力の強化プロジェクト)
学生優遇、子どもの養育手当、大学の授業料は無料
・ 優先順位の見直し → 労働時間は短く、機会は均等に但し、選別は厳格に
便利さより休暇(不自由を楽しむ)
森林を守る厳しい法律と森に自由に出入りする権利の保障
・ 社会保障制度の充実 → 高負担だが、老後のお金を貯めなくても済む社会
・ 税金使途はガラス張り → 高負担だが目に見える形で生活に還元

2008年9月8日月曜日

「時の滲む朝」 

「じもとのneco読書会」(2008年9月3日)
第139回芥川賞受賞作 「時が滲む朝」 楊 逸 (『文藝春秋』2008年9月号)
ナビゲーター:大木壯次

<特徴>①1989年に起きた天安門事件に中国の民主化を目指して本気で関わった二人
の青年の挫折とその後の生きざま・心情を中心に描いている。
②1987年に来日した、日本在住の中国人女性の日本語による作品である。
(日本語以外の言葉を母語とする作家が芥川賞を受賞するのは初めて)
③②と関係があるが、日本語として変な表現がやや目につく。
<あらすじ>主人公・梁浩遠と親友の謝志強は成績優秀な親友同士だった。二人は著名な革命家、学者、文化人を輩出した伝統のある大学に入学できたが、尊敬する三十代の若手教授・甘凌洲を指導者とする民主化運動に本気で参加する。学生を実質的にリードしているのは女子学生の白英露。浩遠と志強は彼女に恋をしてしまう。
集会、デモ行進、市政府前広場での座り込み、天安門広場でのデモなどに明暮れているうちに、装甲部隊が天安門広場に突入する事件が起きる。大学に戻った浩遠と志強は近くの小料理屋で、憂さ晴らしの酒を飲んでいるうちに同席した男たちと口論となり、傷害事件を起こし、退学処分となる。
その後、浩遠は中国残留孤児の娘・梅と結婚し、日本へ来る。彼はアルバイトをしながら中国民主同志会日本支局の一員となり、2008年の夏季オリンピック開催地に中国が選ばれることに反対の署名を集めることなどに奔走する。
一方、志強は中国でTシャツへのプリントなどをする工房の経営に取り組み、一緒に働くデザイナーと結婚して、家庭を築く。
2000年の年末、海外に単身亡命していた甘先生が日本に立ち寄り、一泊して翌朝の飛行機で北京に帰ることになった。11年振りに会った先生は白英露と幼い男の子を連れていた。彼女はフランスの商社マンと結婚し、その子を産んだが、離婚。先生とは同棲関係である。先生夫人は過労とストレスで前年死亡。彼は大学生の息子から「妻も息子も顧みることが出来ない、そんな人は国を愛せるのだろうか。これは僕からの最後の手紙です」という手紙を受取っていた。
空港の見送りデッキで二人の子供の父でもある浩遠は中国に向かって飛び立つ飛行機の行き先を「パパのふるさと? ふるさとって何?」と聞く幼い子供に答えて言う。
「ふるさとはね、自分の生まれる、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟のいる、暖かい家ですよ」
「じゃ、たっくんのふるさとは日本だね」
(「たっくん」は幼い子供・民生の呼び名)
浩遠は「もう帰りましょうか」と言って微笑んだ。          以上 

2008年8月7日木曜日

「豊かさとは何か」

「豊かさとは何か」
著者:暉峻淑子 岩波新書 

20年前に書かれた本なのに、問われている内容に反論できない日本が依然として存在している。  この間日本は何をしていたのだろうか。

この本は、「日本は経済大国であるが、豊かな国ではない。」と喝破したところから論をスタートさせている。以下印象に残った、文を抜粋してみると
² 日本の特異な豊かさ-モノとカネ、経済価値だけを豊かさと考える
² 日本の社会は、経済成長の楽しみ以外に、それに代わる社会の幸せや、豊かさの哲学を持っていない社会なのだ。(ガルブレイス)
² 理解や妥協と同時に闘うことのできる社会でなければオールタナティブ(既存のものと取ってかわる新しいもの)な社会は生まれない。
² ヨーロッパでは福祉サービスの質の高低は、人手の多少にかかっていることを熟知している。
² 豊かな社会を作り出すためには、社会保障、社会資本を充実させることである。
² 豊饒という言葉は、なるべく多くの種が共存していることを意味する。
² 豊かな社会の実現は、モノの方から決めるのではなく、人間の方から決めなければならない。
² 豊かさは、体験の中でしか感じ表現することができないからこそ、人間は豊かな人間的体験を体験できるような余暇-つまり自由時間を必要とする。
² アイヌの人びとの言葉「富を貯めるとは各個人の蔵にモノを貯めることではなく、大地を豊饒に、自然を豊かにし、自然の中に富を貯めることだ」

<感想と覚悟>
・ 豊かさはモノで決められない、人間が決めるものだから、経済が発展すれば必ず、獲得できるものではない。→ 豊かさは、体験の中で感じるものだから、余暇を必要とする。→ワークライフバランスを維持し→どんな生き方、どんな社会が好ましいかを探求する。→人間の復権を考えるなら、共同体的な場を意識的構築していかなければならない

・ 豊饒とは、多くの種が共存している環境で、弱者と共に生きる社会、多様な生物が共存、連帯する地球環境を維持し、生の循環を繰り返す社会をつくらなければいけない。

・ 豊かさへの哲学を持たない、有り余った金が、世界を駆け巡り、土地、株式、商品(石油、農産物)に襲い掛かっている今こそ、それを制御する知恵と勇気が試されている。→戦うことができる社会でないと、新しい社会は生まれないとの覚悟を持つ必要がある。

以上

2008年8月5日火曜日

貧困襲来

「貧困襲来」
[著者]湯浅 誠 山吹書店発行、JRC発売/ 1575円

2008年7月2日
◆「自己責任」は正当か?
著書は、「自己責任論」が蔓延する風潮に警笛を鳴らす。貧困が意図的に隠され、 いま日本社会では、貧困の大量生産が着実に進んでいると説く。みんな死ぬ気で頑張っていないから? いや違う。貧困へと、勤労市民を追いやるメカニズムが、この社会で強力に働いているからだと説く。

◆貧困とは「溜(た)め」を奪われた状態
著者によれば、貧困とは、生きてゆくのに不可欠な「溜(た)め」を奪われた状態に陥ること。教育が保障されていないこと、非正規職への就業者には企業福祉が適用されぬこと、公的な支援が受けられぬこと、家族の支えが得られぬこと、「うまくいかないのは全部自分のせい」と納得させられてしまうこと。

貧困は、自己責任ではなく、社会が解決すべき問題であることを説く。

◆貧困者をさらに痛めつける社会
人を貧困へと追いこんでゆくそんなしくみを見ようともせず、努力が足りないと切り捨てる制度や政策。生活保護の申請を抑えこみ、餓死者を出す「水際作戦」、「福祉に頼らず自立しろ」と、生活の安全保障を外し「決死の綱渡り」を強いる再チャレンジ政策…、みな、貧困者をさらに痛めつけるばかりではないかと問いかける。

貧困者の自立生活支援に長く現場で奔走してきた著者。冷静な物言いは、逆に説得力を増している。それでいてじわーっと著者の怒りが行間ににじみ出る。現場を見続けてきた経験に裏打ちされての文章と思う。根底に、貧困を隠し、放置する権力へ怒りが横たわる。

◆一番読んでほしいのは
読んでほしいのは当事者。ネットカフェをはじめ、誰でも読める場所に常備されたらと著書はいう。学者の論より、切実さが伝わる一冊となっている。

◆北海道の生活保護2億円詐取事件、深谷の暴力団詐取事件、秋葉原の殺傷事件、自己責任の行き着く先、この社会はどこに向かうのか?

2008年6月22日日曜日

「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論   (2008年6月11日)

‘「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論’
樋渡啓祐 著  
ナビゲーター  星合達郎(鳩山)

若手・革新派首長の行動をみると、2つの大きな流れがあるように思われる。

まずは行政改革派・・・いま話題の橋下徹大阪府(「大阪維新」宣言)、ややさかのぼれば田中康夫・前長野県知事(「脱ダム宣言」など)、北川正恭・前三重県知事(「県庁内大掃除」計画)、そして神奈川県・松沢成文知事+中田宏横浜市長のコンビ、さらにさかのぼれば北海道ニセコ町の逢坂誠二・元ニセコ町長(現・民主党参議院議員、わが国最初のまちづくり条例、個別予算書の公開など)・・・それまで惰性的に行われてきた国や県の行政のムダを省き、議会の利権構造にも異を唱える首長たちである。

次が、トップセールス派・・・東国原英夫宮崎県知事、今回の読書会のテーマである樋渡啓祐武雄市長、いずれも職員の先頭にたって地元ブランドの販促につとめる典型的PRエージェントである。

この行政改革派、トップセールス派首長たちをリストアップしていくと、何か彼らに共通するものがあることに気付かないだろうか。

一見無手勝流のようで、実はしたたかな計算に基づくキャラクター、いささか強引に事を進めるせっかちさ、失敗をおそれぬ行動力、際だったカリスマ性をもたないにもかかわらず、マスコミを自在に操るテレビ巧者、コピーライター顔負けのキャッチフレーズ名人、高齢者層を核に熱狂的な女性ファンの存在・・・いまなお既得権益にしがみつこうとする高級官僚や与党政治家に対して、いかにも地方自治体の先行き不透明と国政不信、地域格差拡大に基づく閉塞感をうち破る平成維新の担い手としてふさわしい人材と思わせる。 

話題はそれるが、時として注目されるようなユニークなアイデアは、すでに存在する事実の組合せ方の変化に過ぎないといわれる。セレンディピティ(偶発性による思いがけぬ発見=失敗を成功に変えるプロセス:例えばアレクサンダー・フレミング(ノーベル医学・生理学賞/45)によるペニシリンの発見やソニー・江崎玲於奈氏(ノーベル物理学賞/73)の半導体ダイオード・トンネル効果の発見、さらには田中耕一氏(ノーベル化学賞/02)の生体高分子の質量分析における脱離イオン法の開発などでも、「予期せずセレンディピティを招くためには、常識を捨てて、まず変化を求めよ。プロ根性に徹せよ」という点が強調されている・・・上記の若手首長たちにも、こうした変革を求める感性が鋭く研ぎ澄まされている。

樋渡市長が自治体内に営業部(戦略課、がばいばあちゃん課=観光課)を設け、自らが先頭に立って走り回るアイデアは東国原宮崎県知事のそれを彷彿とさせるし、総合計画をイラスト化してカレンダーをつくり全戸配布するアイデアは、逢坂誠二・元ニセコ町町長の住民任せの予算選択手法を思い起こさせる。単なる思い付きというより、変化を創り出そうとするプロ根性のなせる業(わざ)・・・・。

また、99%マネ×組合せ+1%オリジナル論を堂々と展開しヒト・モノを次々にブランド化していくアイデアは、異色の広告クリエーターそこのけである。レモングラス、日田天領水、ゆほほ武雄温泉化粧水、楼門朝市、etc.・・・・「仕事+趣味→とてつもなく大きいものになる」論は、地域振興策の策定に苦慮する地方中小自治体の首長が参考にすべきだと考える。

一方では、市長室を2人の実務派副市長との相部屋にし、肝心の首長はフリーの立場で呼ばれればどこへでも気軽に出かけていくPRマインドは、よほど自信がなければなかなかできないだろう。まして地域名士の晴れの舞台となるはずだった平成市町村合併記念式典を高校生グループに任せようという暴挙は、いわば言語道断、よく議会や関係者たちが了解したと思う。
「そこまでやるか」・・・樋渡市長のPRスピリットは徹底している。
では、ここで樋渡市長の著書を離れて、「まちづくり・まち起こしの是非」論を考えてみたい。最近の地方社会・経済の低迷に応えるべく政府・各省庁が競うようにして施策化する補助金事業(地域力再生事業、地域元気活性化事業、地域力連携拠点づくり事業などなど)だが、この種の国策事業の前例をみると、明らかな失敗続き・・・原因は、官僚機構や利権型政治家(政治屋)の考える「まちづくり・まち起こし」と地域住民の望む「まちづくり・まち起こし」のイメージが完全に離反してしまっているところにある。

すっかり疲弊しきった地方中小市町村を立て直すためには、地域自治体や地元企業、さらにNPO、住民ボランティア団体を加えた民間パワーを核に、たっぷり時間をかけながら自律的に、ホップ・ステップ・ジャンプで「らせん」を描くように地域活力を熟成させていくべきなのに、国の思い付き的、ばらまき方式の補助金事業はローリスク・ハイリターン型の短期投資(長くて2年間)に終始し、地域の要求するハイリスク・ハイリターン型長期投資とは相容れない。仮に事業をもらって進めていっても、ある段階で必ずアイデア倒れ&資金ショートで二進も三進もいかない事態に陥ってしまいがちである。つまりは民家のためのものではなく、官僚のための補助事業なのだろうか疑ってしまう。

本書中で樋渡市長の無二の親友と触れられている大阪府高槻市の北川潤一郎氏=じゅんちゃんの口癖「まちづくり・まち起こしに傍観者や評論家は要らない。実際に体を動かすプレーヤーが必要」は、まさに武雄市の「まちづくり・まち起こし」に活かされている。樋渡市長自身もこのことをよく承知しているようで、矢継ぎ早にアイデアを繰り出してはステージ上のプレーヤーを動かし続ける。

たとえ華々しい成功例にならないしとしても、人並みを超えた好奇心と発想力を武器にギリシャ神話のシジフォスのように次から次へと樋渡劇場の上演テーマを積み重ねていかねばならない宿命を、市長自身も感じているにちがいない。自ら「力弱い」、まして「ガンバリズムがもともと嫌いなタチで、ともかくサボるのが大好き。タイ語で‘マイペンライ’、沖縄弁で‘テーゲー’、宮崎弁で‘テゲテゲ’、という気の抜けた言葉が大好きだ」と自称するが、この点でも稀代の戦略家の面目躍如である。

しかし、地方自治体の首長の任期は4年間、まだ若いから2〜3期を継続するとしても、樋渡市長が役所を去った後の人材確保は大丈夫だろうか。もちろんこの間に積み重ねられた貴重なノウハウの数々は、誰か適材を得て確実に継承されると思うが・・・・。

特に注目したいのは、「がばいばあちゃん」を中心とする地元女性パワー、何事にも優柔不
断で面倒くさがりな男性諸氏を尻目に、老若を問わず女性特有のこだわりのなさ、多少のミスにもめげない元気力、結束力で樋渡市長の播いた種子を力強く育てていくのではないだろうか。


今回は「映像関連テーマをしたら」という皆さまのご期待に反して「異色・異能の田舎市長の‘まちづくり’奮闘記」を読書会テキストに採択しました。日頃乱読気味の選者の見識違いへのご批判を含めて、ぜひ忌憚のないご意見・ご感想をいただければ幸いです。

以上

『アースダイバー』   (2008年5月7日)

『アースダイバー』

中沢新一著(講談社2005年5月)
ナビゲーター:小沼英二

[プロローグ]裏庭の遺跡へ
◇ 東京という都市は、時間の系列を無視して、遠い過去と現代が同じ空間に一緒に放置されている。
◇ 洪積層=固い土でできている地層で、縄文時代に海水の浸入が奥まで進んでいた時も陸地のままであった。
沖積層=陸地だったところをえぐって水が浸入してきたところで、砂地の多い地層
◇ 貝塚や土器や石器が発見されている場所=神社やお寺のある場所=無の場所(開発や進歩などという時間の侵食を受けにくい場所)=海に突き出た岬や半島の突端部
=縄文人は強い霊性を感じる場所=墓地、聖地
◇ 現代の東京は、地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けている。

[第1章 ウォーミングアップ]東京鳥瞰
◇ 東京は、巨大なドーナツのつくりをしている。⇔ ヨーロッパは放射状の構造
◇ 村を環状につくる習俗=汎環太平洋=東京という都市に流れる時間とエネルギーを今なお決定付けている。
◇ 東京の原地形=縄文海進期(新石器時代)=地球の温暖化中=海水水位は氷河期より100m以上高い
※ 現代の気温上昇はCO2の増大だけでなく、地球の温暖化傾向は考えられるのか。
◇ この世にあるものの価値や数が増殖をおこすのは、ミサキ(さきっぽ)であるという思考法

[第2章 湿った土地と乾いた土地]新宿~四谷
◇ 新宿=乾燥した土地と湿地の対立場所
◇ 乾いたもの=高い社会的な身分を持ったもの=高台に住む=伊勢丹・高島屋=弥生文化
湿ったもの=富の秘密を握っているもの=湿り気をおびた暗い土地に住む=歌舞伎町=縄文文化

[第3章 死と森]渋谷~明治神宮
◇ 生きているものたちの世界が死の世界に触れる境界の場所は、「サツ」と呼ばれた洪積層の突端に作られてきた。死霊のつどう空間は神聖な場所であった。
◇ 死霊や神々の支配する神社やお寺や聖地の近い場所で古代の売春(花街)が行われた。
◇ 渋谷=宮益坂・道玄坂の底にひらかれた繁華街は、東京でもっともニヒルでラジカルな場所である。
◇ 明治神宮=日本という国家のための鎮守の森であり、帝国の守護霊
京都の比叡山、江戸の日光山と同じ発想。

[第4章 タナトスの塔]東京タワー
◇ 江戸という都市の中心は、江戸城ではなく、聖なる山、富士山であった。
◇ 東京タワーは、建てられた場所は、東京空襲の傷跡地であり、戦場から持ち帰られた戦車の鉄材で作られている。→死霊の王国
◇ この国の人々は革命を求めない。しかし、出来上がった秩序が破壊され、焼け跡から新しい世界が作られるのを見ているのは、大好きな人たちである。
◇ 東京タワーそのものが、死の中に復活の萌芽をふくんだタナトス(死の衝動)の鉄塔なのである。
◇ 建っている場所は、東京の中でもっとも強い霊的なエネルギーのみなぎる、岬状の台地にある。
◇ 生命は死に触れているからこそ豊かなのである。

[第5章 湯と水]麻布~赤坂
◇ 岬=宗教的な装置=神社・寺=電波塔(縄文的思考の痕跡)
◇ 赤坂=縄文海進期以来の水をたたえた地形=水とエロティズム
※ 仕事場が永田町であったので赤坂見附から溜池の地形は身近でよく分かる。
◇ 都心部の高台と谷間の歴史について、谷間に森ビルがビル建設をすることで、東京は重要な魅力を失い始めている。

[第6章 間奏曲]坂と崖下
◇ 枯山水 石=建物、砂=浮世 苔=路地裏にできた庭園(苔のような存在がないと都市は地上に「悪」を生みだしてしまう。)

[第7章 大学・ファッション・墓地]三田、早稲田、青山
◇ 都内の主要な大学は、大昔の埋葬地に関係した場所に建てられている。
埋葬地は人が立ち入るのを避けてきた広い土地である。
◇ 死霊の支配する世界に住むということは、人間がかぎりない自由を手に入れることに他ならない。→ファッション関係者


[第8章 職人の浮島]銀座~新橋
◇ 銀座は埋立地であり、非農業民的な職人の町がつくられた。
◇ 銀・宝石・広告の三位一体が銀座を特別な街にしている。

[第9章 モダニズムから超モダニズムへ]浅草~上野~秋葉原
◇ 浅草=縄文地理学の影響を免れた盛り場=アメリカ的盛り場=モダニズム
◇ 東京の重要な岬=芝と上野

[第10章 東京低地の神話学]下町
◇ お祭り=無駄な遊び=人の心によろこびと興奮をあたえる。
◇ 生活の隅々まで管理され、効率や利益を重視する経済原理が支配されている時代に
はお祭りは大切
◇ 現実の世界を支配している=「交換の原理」
お祭り=際物(きわもの)=温かい「贈与の原理」=別世界=下町
◇ 沖積層で都心部に残された場所=エロス的なサブカルチャー
同じ沖積層である下町=独特な健康さを備えた別世界=人生は不確実なものであることを知っている=飾りけの無い真実=人の暮らしは自然の怪力の背中に乗っている。
◇ 無意識は別の形をした自然である=全体のバランスを心がける=健全な社会
◇ 渋谷=無意識という人間の自然につながっている通路が閉じた場所=欲望が最新商品を仲立ちにして心の表層を猛烈な勢いで動いている=疲れる場所
浅草=無意識の通路が開かれている

[第11章 森番の天皇]皇居
◇ この世の息苦しさは、資本主義の原理が入り込んでいない隙間がどこにも無いところにある。
◇ 人間の心のよい部分がどんどん破壊されていく。美しかった自然や町並みがお金儲けのために変なものに作り変えられてしまう。
◇ 西洋の生んだグローバリズム(キリスト教・資本主義・科学主義)=経済的合理主義を拒否する部分はまだ生き残っている。→天皇制にあるかもしれない。(単一文化と経済主義を特徴とするグローバリズムにたいする強力な解毒剤)
◇ 東京は「野生の思考」と資本主義的な「現代の思考」がひとつのループ状に結び合って興味深い景観をつくりなしている。



<感想>

○ 東京の縄文時代の地形から現代を見るという発想が斬新で素晴らしい。
○ 東京以外の場所でも、過去の地形が現代を規定している例はたくさんあるのではないか。現在の神社・お寺等の場所はおそらく縄文時代より継続している所はあると思われる。
○ 巻末のスポットリスト(71箇所)は行っていないところが多くあり、今後、全てのところに行ってみたい。
○ 文章表現はやさしいが、奥が深く、著者は思想家・哲学者であることを感じる。

○ 巨大化した資本主義=グローバリゼーションの波に翻弄されている現代
科学主義(自然は克服できた。)=真実はひとつ
人間中心主義=理性中心主義
世界の均質化・同一化=効率・合理化の追求

終焉を迎えつつある。

ローカルな発想、自然と共存する。
人類は5000万種の生物の一つにすぎない。

以上

『団塊マーケティング 』 (2008年4月2日)

『団塊マーケティング』 

電通シニアプロジェクト編著(2007年7月 電通刊)


ナビゲーター:大木 壯次(新しい働き方研究会代表・シニア社会学会会員)


◎ 団塊世代が注目される最大の理由は、その人数が生み出すパワーであろう。
◎ 団塊世代:2005年の国勢調査によると、1947年から49年生まれの男女(日本人)は合計約674万人(男性334万人、女性約340万人)だが、50年、51年生まれまでを含めると、合計約1077万人(男性約534万人、女性約543万人)となり、1000万人を超える。これは総人口の8.4%、20歳以上人口の約10.4%を占める。
◎ 団塊世代を読み解く8つのキーワード
1.自分・・・今、気持ちは子どもや仕事から「自分」に向かっている
2.一生現役意識・・・日本経済を支えてきたことが誇り
3.自立・・・子どもに無理して残すより迷惑をかけたくない
4.アノコロ憧憬・・・アメリカ文化、雑誌文化、ポップス文化で育ってきた
5.友だち夫婦・・・二人はもちろん、一人も大切
6.スマートコンシューマー・・・めりはり重視の目利き消費者
7.コレクション・コネクション・・・男性はコレクション型消費、女性はコネクション型消費
8.納得感・・・たくさんの情報から「自分基準」で取捨選択するひと手間を重視
◎ 退職後の生活変化の実相・・・12カテゴリー別(食生活・スポーツライフ・趣味活動・
旅行ライフ・ファッション・ショッピング・仕事とボランティア・メディア接触・ITライフ・マネーライフ・ヒューマンネットワーク・夫婦コミュニケーション)
◎ 団塊世代が考える6つの「したい生活像」・・・6グループの特徴
全方位アグレッシブ派・にぎやか生活派・海外志向派・社会貢献派・スローライフ派・
面倒回避派
◎ 団塊・シニア世代への取り組みポイント・・・①長いお付き合いでの信頼性獲得を目指す②将来不安要因へのソリューション提供③世代限定感を訴求する④夢の実現サポーターとなる⑤学びゴコロをビジネス化する⑥仲間づくりを支援する⑦夫婦関係のリ・デザインを支援する⑧郷愁ゴコロをくすぐるアノコロジー⑨リアル・コンタクトポイントを発見する⑩インフルエンサーにアプローチする⑪ターゲット・メディアに注目する
◎ 今後、中長期的に見て、国内総需要の減少が予測される中、人口比率が高まる中高年・シニア市場対策は各企業にとって、必須の経営課題とならざるを得ない。 



以上