2014年12月13日土曜日

「テキヤはどこからやってくるのか?」  厚香苗

平成26年12月10日(水)
by Eiji.K

◇ テキヤ社会は伝承社会であり、書物として明文化されていないことから、  
  作者はフィールドワークとしてテキヤ集団に飛び込み、長期間調査した成
  果としてテキヤ(露天商)の歴史や地域性、特殊性等について明らかにし
  たことは評価できる。

◇ 特に女性がテキヤ社会の構成員として認められない男社会中心の異文化の
  世界に対し、女性として研究対象にしたことは面白い。

◇ あとがきにあるが、学術書としてまとめたものを分かりやすく、読みやす
  くするため、新書形式にしたとあるが、全体としては研究論文形式であり、
  読みにくさは残っている。

◇ 表題にあるテキヤの実際の構成員の生態(どのような場所に住んでいるの
  か、商いの勤労日数は月どのくらいなのか、一祭でどのくらいの稼ぎがあ
  るのか、家業として何年ぐらいの勤続年数なのか、通常の家族構成はどう
  なっているのか)など分かりにくい内容ではあると思うが、知りたい内容 
  が書かれてなく標題だおれになっている。

◇ 項目立てにも同じようなことが言える。
  「露店は社会の病気か」とある内容について、社会病理研究は、それを「ま
  ともじゃないもの」として取り扱うことから始まった。と述べているだけ
  で露店は社会の病気なのかどうかの作者の見解が出ていなく、突っ込んだ
  内容となっていない。

◇ 第5章 露店商いをめぐる世相解説で親分子分関係、なわばり、口頭伝承
  等この本の最も興味のあるところが書かれているが、表面的な感じがする。

◇ テキヤを身近に感じるのは個人的には川越祭である。毎年見に行っている
  が、山車のひっかき合わせとお囃子が見所だが、何百も出ている夜店で食
  事をする楽しみは、毎年通う理由の大きなものとなっている。

以上

2014年11月12日水曜日

「気が遠くなる未来の宇宙のはなし」  佐藤勝彦

平成26年11月12日(水)
by Eiji.K

全部の項目ではないが、気になった内容や面白そうな現象等を列挙しました。

■ 氷期の到来
  現在は、間氷期の時代であるが、1500年から3万年後には氷期になる。
  地球温暖化(二酸化炭素の増加)は自然災害をもたらすと言われているが、氷期になることを 防ぐ効果もある。

■ スパーフレア
  数千年に1回程度、太陽のスーパーフレアが発生すると地球が大停電になり、原発の冷却装置等が使えなくなる恐れがある。

■ 磁極の逆転
  太陽のÑ極とS極は11年周期で逆転している。地球も過去360万年間で11回逆転している。

■ 北極星は動く
  現在の北極星はこぐま座であるが、地軸の歳差(えんさ)運動(2万6000年周期)により変更してた。

■ 恒星の動き
  動かないように見える恒星は、実際は猛スピードで別々の方向に動いている。
  太陽は、銀河系内を秒速240㎞で周回しており、一周するのに約2億年かかる。

■ 小惑星の地球への衝突
  6500万年前の恐竜を絶滅させた小惑星の衝突は直径10キロ級の天体。
  広島型原子爆弾の10億倍の規模(数千メートルの津波、衝突の冬等)は1億年に1回程度3500万年後には現実のものとなる可能性がある。→スペースガードセンターによる観測開始

■ 地球と月の関係(地球の自転は遅くなっている)
  45億年前   :地球の自転は6時間 月までの距離は2万5000㌔
  現 在     :地球の自転は24時間 月までの距離は38万4400㌔
  100億年以降:地球の自転は50日 月までの距離は55万㌔

■ 2億年後の超大陸
  プレートテクトニクス理論により現大陸はひとつになる。(6回目の1大陸)
  地球環境の激変、生命の大量絶滅→生き延びた新生物が地球の主役になる
■ 10億年後、太陽が明るくなり、地球の海が蒸発
  蒸発した水蒸気が温室効果となり水が干上がる。30億年後には400度の灼熱地獄になる。

■ 太陽が50億年後、赤色巨星に
  地球は飲み込まれるか、黒焦げになる。

■ 太陽の最後
  赤色巨星→白色矮星→黒色矮星(太陽の死) (太陽より思い恒星は超新星爆発する。)

■ 銀河の10億年後、30億年後、100億年後
  10億年後、天の川銀河は最も近い銀河である大小マゼラン銀河を吸収する。(銀河団)
  30億年後、天の川銀河とアンドロメダ銀河は衝突する。(局所銀河群)
  100億年後、超巨大楕円銀河ミルコメダは暗い恒星、褐色矮星、白色矮星、中性子星、巨大な ブラックホールで構成される天体となる。恒星(太陽等)同士の衝突はない。(太平洋に浮かぶ2つのスイカ)

■ 1000億年後
  138億年前のビッグバンにより宇宙は生まれ、あらゆる物体は互いに遠ざかっているが、一方 で物体同士の間では重力がお互いに引きつけている。具体的には、重力が膨張より強い銀河団 内では数百億年後に全ての銀河が合体し、スーパー銀河になる。しかし、1000億年後になると、スーパー銀河間は距離があるので重力の力が弱く、お互いに離れていって、観測すらできなくなる。

■ 100兆年後
  スーパー銀河内にある全ての恒星が燃え尽きてしまう。

■ 100京年後
  銀河の中心にあった巨大なブラックホールとわずかな死んだ星だけが残る。

■ 10の34乗年以降
  100京年(10の18乗年)から10の34乗年後になると、物質の基である原子が崩壊され、ブラックホールだけが残る。(ブラックホールは物質ではない。)

■ 10の66乗年以降
  残されたブラックホールも大爆発して消滅する。宇宙には全てがなくなってしまう。

■ 仮設:ビッグクランチ
  862億年後、宇宙の膨張は止まり、収縮に転じる。
  宇宙の中に物質やエネルギーがたくさんあればそれがブレーキになり収縮が始まる。

■ 宇宙の最後
  1点から生まれた宇宙は1000億年間膨張し、その後、1000億年かけて収縮し、合計2000億年の寿命を終える。最後はブラックホールに飲み込まれる。

■ 宇宙の曲率(曲がり具合)
  正=宇宙の物質やエネルギーの重力により宇宙は収縮する。
  0=宇宙の膨張速度は遅くなるが収縮はしない。
  負=宇宙は膨張し続ける。
  現在の宇宙の曲率はほぼ0である。
  天体の恒星や惑星は全て原子でできており、その合計値は5%程度しかない。
  残り95%は未知の物質(ダークマター)や未知のエネルギー(ダークエネルギー)である。

■ 加速膨張(インフレーション)
  138億年前のビッグバンの時、宇宙は急膨張したが、その後、減速膨張になったが、60億年前から第2の加速膨張をしている。これはダークエネルギーの存在による。

■ ファントムダークエネルギー(仮説)
  宇宙が膨張するに比例して密度が増える特別なエネルギーがある場合。
  暗黒(ダーク)エネルギーの密度が増えると、宇宙の膨張が加速され、天体も原子さえバラバ ラになってしまう。(ビッグリップ)

■ ビッグクランチを回避する方法  
  収縮する宇宙の中に別の子ども宇宙を作って脱出する。
  私達の宇宙もこのようにして生まれた無数の宇宙の一つにすぎない。
  我々のいる銀河宇宙は、10の200乗個もある。(マルチバース)

■ 最終的な人類の将来
  自己設計により人類は「宇宙生命体」へと進化し、全宇宙に存在する。


<感想>

◇ この本の前編部分は、宇宙の出来事や既知の知られている内容等であったので読書会の題としては面白いと思われたが、後半の部分に現代宇宙論、最新学説等が出てきて文章は平易で分かりやすいのだが、頭がついていけない部分が多かった。

◇ 特に、10の66乗年以降の話などになると実感が全くわかず、表題にある「気が遠くなる」はなしの意味が理解できた。

◇ 作者の佐藤勝彦氏は今年度(26年)の文化功労者に選ばれている。

◇ 初めに天文学の存在意義が書かれている。
  「人間と宇宙との関係を知ることは、考えの単位が数億年先のことで、人間の寿命からすると 生活における「実用性」はないが、人間は知的生命体であり、存在する意義(自分の立ち位置)を今後とも考え続けていくため、”我々はどこから来て、どこへ往くのか”を知りたいと思うことから天文学を極める意義・必要性は高い。」

◇ 我々の立っている地面は高速で動いている。
  地球の自転速度:1700㎞/時速  公転速度:10万7280㎞/時速
  更に太陽系は2億年で銀河を一周:86万4000㎞/時速
  我が銀河は近くにあるアンドロメダ銀河と合体:108万㎞/時速(30億年後、局所銀河群) 
  局所銀河群同士は更に高速で離れている。

◇ 先月の分子生物学の話(我々の体は分子レベルで数ヶ月で全ての細胞が入れ替わっている。)も踏まえると、我々は変化している空間の中の一瞬に存在していることになる。

◇ 地球規模で見ても、プレートは動いており、空の雲も常に動いている。それらが動かなくなれ ば地球は死んだことになる。地球は変化し続けていることで”生きている”といえる。

◇ 以上の事実より、宇宙は常に動いているという宇宙の原理(私的名称)を我々の人類の生活に当てはめた時、我々の生活が停滞・退歩することは宇宙の原理に反することであり、諸々の変化をいかに享受し、受け入れ、利・活用していくのかが生きていくことであり、生き延びる方法であるのではと思う。一方、停滞・退歩することも変化の一つであると言えなくはないが、悠久の宇宙の流れの中では淘汰されるのではないかと思う。


2014年10月1日水曜日

「生物と無生物のあいだ」   福岡伸一

by Eiji.J

◇ この作者の「動的平衡」の本を22年に読んでいる。当時の感想文として、
 ・表題の「動的平衡」とは60兆個の細胞で構成されている人間はその細胞自体は常 
  に高速で生まれ・死滅することを継続しており、動いている中での淀みであること
  を表している言葉である。
 ・身体は、分子的に見ると、数か月前とは全く別物になっている。
 ・生命とは、動的な平衡状態にあるシステムである。一輪車に乗っているのと同じ
  である。

◇ 今回の本の内容は、作者が米国の研究機関で分子生物学の実際の研究実態
 と、先人たちの歴史が書かれているが、文章表現が上手く、学術的な記述内
 容を平易の言葉で読ませてくれる。

◇ ポスドク研究者の実態が出てくるが、作者は、アカデミアの塔は実際は暗
 く隠微なたこつぼ以外のなにものでもなく、死んだ鳥症候群といっている。
 身近に同種の友人がおり、特に理科系の大学院卒業者の就職難は現在でも深
 刻な状況にあるらしい。更に、研究の専門性は世界が相手となるため、英語
 はもとより数ヶ国語を習得しなければならない苛酷さは、凡人では立ち入る
 ことができない領域であることを当時、感じた。

◇ ”われわれの体の大きさと原子の大きさから、なぜ、われわれの体はそん
 なに大きくならなければならないのか”の疑問についての回答が出されてい
 る。原子の活動の誤差率が10%あるとすると高度な秩序が要求される生命活
 動では致命的になる。そのため、実際の生命活動では個々の原子活動の何億
 倍かの原子活動となるため誤差率を急激に低下させることができると書かれ
 ており、生命活動の巧みさを知ることができた。

◇ 最後に出てくるGP2ノックアウトマウスの話は、取り組み経過がドキュメ
 ントであり、生命の滑らかな復元力等の神秘さが書かれているが、このよう
 な最先端の研究内容を素人が知れる機会を提供できる作者の表現能力は希有
 な貴重なものである。それは、我々にとって知らない世界を垣間見ることが
 できる読書の楽しみでもある。 


by T.I

生物と無生物の定義について議論が交わされるのかと思って読むと、初めは肩透かしにあったような気がしたが、2回読んでみて少しだけ理解できた。

Q.生命とは何か?  A.自己複製を行うシステムである

DNAの二重ラセン=ポジとネガ が存在することが、傷ついた細胞を修復するシステムを支えていて、生命維持機能を果たしていると知った。

命が「動的な平衡状態」にあるとの説明は、新たな認識で時の流れの中に自分がいるとの感覚を持った。

研究のステップのち密さがすごい、その中で研究成果を誰よりも早く発表しないと、その努力は報われないという厳しい世界で、そのストレスに耐えるものだけが成果を得るのだと分かった。山中教授が過去の研究のうえに自分の実績があると謙虚に話していたことや、STAP細胞問題が起こるのが少し理解できた。

ウィルスは代謝を行っていない、鉱物に似た物質、→ しかし、自らを増やすことができる(自己複製の力を持つ)→ ウィルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。

核酸=DNA 4つの要素(ACGT)からなる=遺伝子の本体(遺伝子情報を担う物質)

シャルガフのパズル:AとT、CとGの含有量は等しい →DNAは単なる文字列ではなく、必ず対構造をとって存在している(相補性) → 傷つく細胞の補修を担保し、平衡状態を維持している

同業者レビューの不公正?(世間が狭い、透かし見)
→ 透かし見したノーベル賞受賞者への怒りと、若くして亡くなった研究者への同情、、敬意があふれている。
→原発の安全性審査の問題と同じ、狭い分野の同業者しか論文の価値が理解できない。


原子はなぜそんなに小さいのか?(1オングストローム=100億分の1m)
→生命は秩序を構築、大きいから

平均からはずれるふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則による
  √100=10  √1,000,000=1,000
  10/100=10%  1,000/1,000,000=0.1%  影響度が違う

エントロピー増大の法則
生命は「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」
 
食べることがエントロピー(乱雑さを表す尺度)増大に抗する力を生みだす
シェーンハイマーの重窒素を使った実験
体は流れそのものである。分解と合成が繰り返され、入れ替わっている。
生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。

生命とは動的平衡にある流れである

内部の内部は外部である→ 生命のリスク管理として存在

ライバルチームとの競争のし烈さ
ES細胞 → ノックアウトマウスの実験 → 不都合は起こらなかった → 生命=動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさに感嘆

この本のわかりにくさは、生物の定義が進化してきた経緯と研究者の運不運、研究の大変さが混在していることだが、自らが研究者として思っていることを書かなくてはいられなかったのだと感じた。


2014年9月3日水曜日

「学問のすすめ」  福沢諭吉

「現代語訳 学問のすすめ」  福澤諭吉著 齋藤孝訳
                                                 
by Kumiko.O

選書した理由、日ごろ私が抱いていた疑問に、この本がどのように答えてくれるか?疑問とは
学問は何のためにするのか?
生きている中で、迷いや岐路に立ったとき、学問は示唆をあたえてくれるのか?
学ぶことで、幸せになれるのか?

• 本書の「学問とは」普通の生活で役立つ実学である。本を読むだけで学問ということはできない。 ①   学問の定義

• 学問をすることで自分の意識がはっきりし、経済がうまくまわり、幸せな生き方ができる。③

• 勇気と言うものは、ただ読書をして得られるものではない。読書は学問の技術であって、学問物事をなすための技術に過ぎない。実地で事に当たる経験を持たなければ、勇気は決してうまれない。②

• 品格をたかめよ。知識だけでは品格は高まらない。ではどうするか。その要点は、物事のようすを比較すること。これは、個々のあれこれを比較するということではない。こちらの全体と、あちらの全体を比べて、それぞれのいいところと悪いところをあまさず見なくてはいけない。①

• 信じる、疑うということにおいては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。②

• 世の中を良くしていくことと、自分自身が充実するということ。「国」や「公」と「個」や「私」が常に矛盾なくつながっている。福沢スタイル③

• 人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。物事の相談では、伝言や手紙ではうまくいかなかったことでも、実際にあって話をしてみると上手く治まることがある。③

【感想】
私は、学問を個人的な「内なるものの充実・醸成」と捉えていたが、福澤の学問は「社会」で 生きていくためのものという広い捉え方をしていた。

ばさばさと物事を切っていく文章は、非常に小気味がよかった。私は自分に自信がないた  め、「・・・か」というふうに常に断定を避けてきた。

判断力の基準は、常日頃から磨いていかないと身につかないと思った。遅いけれど。

福沢諭吉の魅力「一言で人柄を表すと、ざっくりしている。こまごまとした前置きや注釈はな く、物事の本質をつかみ一番大事なところだけを取り出して見せてくれる人」。前置きや注釈が長いのは本質をつかみ切れていずに、自分の意見を正当化するための逃げなのか。本質に自信のある人はその部分から切り込めるのか。

「天は人の上に・・・」「天」とは何を指しているのか?神なのか、宇宙的な視点からの天なのか?

齋藤孝という人は、テレビのコメンテーターに出演したりしていてあまり好きではなかったが、「解説」がとてもよく、これだけ読んでも良いと思った。

【結論】
 学問は何のために行うかという、自問に対して私が出した結論は、学問とは「自分」と「社会」をつなぐ媒介である。この結論を得たのは、能楽師の安田登の本「あわいの力」(※が「あわい・あはひ(間)とは「媒介」意味を表す古語」を読んでいて「身体という「媒介」「あわい」を通して、人は外の世界とつながっている。」身体と言う「道具」の習熟が学問ではないかと考えました。

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by Eiji.K

◇ この書が書かれたのは明治5年~9年であり、江戸時代が終わり、近代国家に脱皮しようとしていた時代である。したがって、民主主義の意味するところ、国民としての権利と義務、政府と市民の立場、法律の厳守等現代の我々には当然の当たり前のことが試行錯誤の時代において分かりやすく、論理的に書かれていることに敬服する。

◇ 第9~10編のよりレベルの高い学問では「衣食住を得るだけでは蟻と同じ」 であり、後の世で我々の生きた証が恩恵として残るように努力しなければな らない、と言っていることは最もなことであるが、この時代は目標としての 西洋文明があり、戦後ではアメリカ文明という標本があったが、ある意味で それらを乗り越えた結果、現代の日本では資本主義がきしみ始め、民主主義も形骸化されており、学生は衣食住を得るために汲々としている時代になっている。そうした中では「日本人として外国人と競うことが学問の目的」ということは学生への指針とはなりにくくなっており、現代を諭吉が見たらなんと言うのだろうかと思う。

◇ 第13編「怨望は最大の悪徳」の中で”人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。自由に言わせ、自由に行動させて、財産も、社会的地位も、それぞれが自分で獲得できるようにして、まわりがそれを妨 害してはならないのだ。”といっており、言論の自由や束縛されない社会経済活動が必要であることを明治7年に示していることは驚きである。

◇ この本が書かれた時代の西洋文明に対する考え方が、全くの憧れだけでは なく、ヨーロッパ人の一般状況をよく見ていることが伝わってくるし、東洋の中国やインドの植民地化の情勢などの見方が的確なことがよくわかる。

◇ 一般的な啓蒙書、人生指針として当時からベストセラーとなっていたことは理解できるが、斎藤孝訳で最強必読のビジネス書として今後も読み継がれていくと言っていることは疑問ではある。(時代背景が異なりすぎていると思われる。)

◇ 本文中の†(記号)のまとめは非常に有効である。




2014年7月2日水曜日

「博士の愛した数式」  小川洋子

                                              平成26年7月2日(水)
by Eiji.K

◇ この小説には、すがすがしさ、静謐さ、温かさ、一種の気品のようなもの
  が感じられ、読後感が爽やかである。爽やかさの源を探ってみると、登場
  人物は3人しかいないので3人の織りなす家庭愛のようなものが現代の家庭生活環境・時代状況の中で失われているものを思い出させているからだと思われる。

◇ 悲しい過去を背負った老数学者は数学という異次元の世界に住んでいて、男としての矜持を忘れずに持続させており、家庭内の尊敬される主人(生活人としてではなく、権威ある学者)としての威厳を保持している。家政婦として未婚の母である私(主人公)は息子を溺愛してくれる父親像を博士の中に見い出し、また、数学の美しさを博士より教えられ、異なる世界を垣間見る楽しさを感じている。息子は無条件に愛情を注いでくれるとともに難しい数学や阪神タイガースのデータを教えてくれる博士を尊敬している。このような人間関係が現代では尊く、いとおしく見えるのだろう。

◇ ただし、息子が大人の博士の事情を理解し、母親に適応して博士にふるまう健気な態度は10歳の子供に可能なものかと多少疑問に思えるところがある。

◇ 平成18年1月に映画化されたもの(寺尾聰・深津絵里)を見ているが、当時の私の感想文の中に” 吉岡秀隆の数学の授業は素晴らしい。このような先生がいたら幸せであるだろう。”とあった。 映画では、息子が成人して数学教師(吉岡秀隆)としてのエピソードがあったが、小説にはない。

◇ 解説を藤原正彦が書いているが、藤原ていの息子であり、中国からの帰国作品に出ていた近親感がある。

◇ 本屋大賞受賞作品は今年で10年目となるが、この小説は第1回の授賞作である。10年の作品を見てみると、小説として読んだのが5冊、映画で見たものが6本あり、現代の文学賞の中で最も話題となる選定であると思う。

2014年5月7日水曜日

「成長から成熟へ さよなら経済大国」    天野祐吉

平成26年5月7日(水)
by Eiji.K

◇ 広告業界の話なので面白そうかなと思って読んだが、広告産業は経済的・社会的・歴史
 的な影響をまともに受ける業界であり、また、広告評論に関する多岐にわたる引用例も多
 くあることから、内容がかなり幅広くかつ、深みのあるものなので読みにくかった。

◇ 広告とは製品をいかに売るかという手段の一つであり、消費者に買ってもらうことを目
 指した存在であるということは今までも何とはなく分かっていたが、広告の歴史をみると
 改めて知らされたという感じであり、アメリカが手本であったことが分かる。

◇ この本で書かれているポイントを列挙すると、高度経済成長社会=大量生産・大量消費
 社会=地球のグローバル化=都市化=自然破壊と自然の追放=商品の計画的廃品化=欲
 望の廃品化(車のスタイル等)=センスの差別化(キンチョウのCM等)
 上記の考え方・思想はアメリカを中心とした発想であり、その大波が時間を経てそのまま
 日本に押し寄せ、飲み込まれていたことが歴史的によくわる。
  その結果、日本人は「物を大切にし、自然を敬うという感性」を喪失していった。
 こうした戦後の日本経済活動の流れの中での広告の果たしてきた役割は非常に大きかっ
 たといえる。

◇ 戦後日本の経済大国への旅は、人間的な豊かさを求める旅ではなく、物質的な豊かさを
 求める旅であった。GDPの伸び率と生活満足度は反比例する数値は印象的である。

◇ 今後の日本の行く末を「金持ち暇なし国」→「貧乏暇あり国」・生活大国にしていくと
 いう方向が必要であると言っており、考え方は共感できる。

◇ 世界の経済が行き詰まっている現状で、表題の「成長から成熟へ」と移行できる国は世
 界の中でも日本が手本になるということは、日本にとっておおいに励みになると考えられ
 る。           

◇ 特に共感できた項目
 ・テレビCMの許容割合は総放送時間の18%という規制があるにもかかわらずテレビシ
  ョッピングは生活情報番組として認められていることはおかしいとの指摘
 ・政府が出す意見広告は税金で出されているが、一方の意見だけを政府見解として出すこ
  との問題点指摘
以上

2014年4月25日金曜日

「赤朽葉家の伝説」   桜庭一樹

平成26年4月2日(水)
by Eiji.K


◇ 久しぶりの長編小説で読みごたえがあった。
  内容は目次にあるとおり3部構成で3人の年代記となっている。
  第1部 最後の神話時代 1953年(昭和28年)~1975年(昭和50年) 
      ■ 赤朽葉万葉
  第2部 巨と虚の時代  1979年(昭和54年)~1998年(平成10年)    
      ■ 赤朽葉毛毬
  第3部 殺人者     2000年(平成12年)~未来  
      ■ 赤朽葉瞳子
  文庫版あとがきで作者は第1部は歴史小説、第2部は少女漫画、第3部は青春ミステ
  リーといっているが、その通りの内容で、山陰地方の時代背景とともに旧家の変遷を描
  いた大きな大河小説となっている。

◇ 赤朽葉家が”辺境の人”万葉を嫁にしたのは、とうの昔に追い出してしまった山奥に消
  えた土着民(狩猟採取の縄文時代人)への負い目を感じ、また、製鉄産業という近代化
  によって引き起こされた事故発生のたたり等を慎めるためという説明があるが、このよ
  うな歴史認識の鋭さや時代考証が随所にあり感銘を受ける。

◇ 特に万葉と黒菱みどりが鉄砲薔薇という架空の花が咲いている亡骸の箱がたくさんあ
  る山に行った場面は幻想的・神秘的でよかった。

◇ 不良少女たちが跋扈していた時代は確かに昭和の終わり頃、存在していたが、どこに消
  えてしまったのだろうかと思う。毛毬の製鉄天使の行動や漫画家の話は実体験がなく、  
  身近に事例等が全くなかったので、感情移入ができず、理解不能であった。

◇ 瞳子の謎解きは現代の話であり読みやすかった。瞳子の悩みは祖母や母のように本家の
  一時代を自ら築き、歴史に名を連ねるようなことができなく、本家の歴史の無邪気な破
  壊者になってしまうという恐れを持っているが、現代の日本の時代趨勢、特に低成長経
  済が今後とも長期間継続すると予測される中では、変化や刺激の少ない時代になってい
  くので、旧家の後継者の共通の悩みとして同情できる。

◇ 赤朽葉タツの存在が際立っており、旧家を取り仕切る要としてこの小説を面白くしてい
  る。

以上

「日本のいちばん長い日」    半藤一利

平成26年3月12日(水)
by Eiji.K

◇ 玉音放送を国民が起立して聞く場面は、映画・TV等でよく見る場面であるが、放送さ 
 れるまでに実に様々な局面があり苦労して放送ができたことを初めて知った。この日が表
 題の「日本のいちばん長い日」というのは誇張された表題ではないと思う。

◇ 玉音放送による天皇の声明では、一般国民は戦争に負け、日本が降伏するということを理解できないのではないかと思っていたが、天皇放送の後に37分にわたりNHK放送局員による「ポツダム宣言の内容」、「聖断の経過」等が放送されていたことがエピローグに書かれており、それにより一般国民は了解できたのだろう。

◇ 満州事変から太平洋戦争までの歴史を今から鳥瞰すれば、軍部が天皇の統帥権を利用し、 
 政治を無視し、すべてを事後承諾の形で専横・独裁してきたといわれているが、このドキ
 ュメントを読む限り鈴木首相等政治家の役割はそれなりに大きく、国家としての諸手続き 
 などは、それまでの近代化の歴史経過を踏まえ踏襲されていたことを知った。

◇ ポツダム宣言受諾の最終判断は時の裕仁天皇による決断が日本の最後の崩壊を阻止し、日本を救うことになったことがよくわかる。優柔不断で臣下の意見を聞くだけの天皇であったら北海道はソ連の支配下に置かれていただろうし、広島・長崎以外の場所にも原爆が落とされていたことが想像できる。

◇ 特に、ポツダム宣言受諾後の日本の国体護持について、天皇が形は変わっても存続できるとの判断を示したことが決定的であった。それがなければ軍部はポツダム宣言受諾を了承しなかったと思われる。その判断を天皇はどのようにしたのか。自らは戦争犯罪人の責任者として極刑になり、天皇制が消滅する可能性が高かった状況にあったはずである。何らかの連合国側の意向についての情報があったのかその点が気になる。軍部にポツダム宣言を受諾させるために天皇として確信はないがあえて言ったことなのか。

◇ 8月14日に宮城内で叛乱が生じ、近衛師団長が惨殺されたとの歴史史実は知らなかった。歴史的にも軍人は叛乱首謀者のような直情型の人達が常に存在するが、職業としての属性から避けられないことなのだろうか。現代においても、自衛隊等へのシビリアンコントロールは機能しているのだろうか。

◇ ポツダム宣言の連合国側にソ連が入っていないことから、ソ連は、日本の捕虜軍人をシベリアへ連行することができたことが分かる。

2014年4月2日水曜日

「流れる星は生きている」  藤原てい

2014/1/15
by Kumiko.O

推薦の理由(次のような思いがあって推薦した)
    アルバイト先で、数学の先生が4人いる。その先生方が尊敬して止まないのが藤原正彦であった。藤原正彦が今日あるのは、「藤原てい」という母があったればこそという言葉に、最初は立派な子供に育てるための秘策があるのかと思い「藤原てい」に興味を感じた。
    この読書会は、自分の好み以外の本に出合えることに意味があると小沼さんがつぶやいていたことが気になっていて、自分の読書の嗜好を打ち破ってみたかった。また、推薦する図書がどのような反応や感想をもたれるかに興味があった。あえて自分の嗜好に反する図書を推薦図書とした。
    正月早々、悲惨な描写も多く、1月の推薦図書としてはふさわしくないのではと思ったが、終戦という時代があって、今があることを考えてみたかった。また、逆境におかれた人間のエゴ、本性、強さ、やさしさなども考えてみたかった。
    この本は、次の推薦図書の「日本のいちばん長い日」とも関連するので合わせて読んでみることで、興味も関心もなかった終戦をめぐるやり取りや、そこで振り回される民衆がいたことが少し理解できた。
    私は、人間模様を描いた小説に惹かれるが、その前にもっと本質的な人間が持っている本能・本性があるのではないか、それは「生きる・生きたい」ということなのか、まだ分からない。

感想
    凄惨、悲惨な場面が多い中で、知恵を使って生き抜いているところに勇気をもらった。例えば、石鹸売り 「私は、石鹸の包みの他に必ず容器をさげて歩いた。・・・味噌、残りの飯などをもらって帰ると子供たちは目を丸くして喜んだ」
    まず、行動することの大切さを感じた。行動を起こさなければ、親子4人生きていけない。
    「私の病気は子供三人の死を意味する。」強い意思
    人間の尊厳とは何か?極限の中で尊厳を保つことができるのか。「「物ごい」をすることを思いついた。・・・私は激しい屈辱と闘いながら、また押してみた」
    良い人ばかりではない。169「あなたがたのような貧乏団と一緒じゃこちらが迷惑しますよ」私はくやしさをこらえて、「ただ、あなたたちの後を犬のようについていくのだからかまわないでしょう」・・・ところがかっぱおやじは私たちがその動向を監視している裏をかいて出発してしまった。「あと五日たったら出発するから用意しておきなさい」と親切ごかしにいっておいて、その晩の遅い汽車でこっそり南下してしまった。

    悲惨な、箇所はとても読む勇気がなくて飛ばしながら読んだ。きっと私の中に嫌なもの、辛いものから目を背けるという習性があるのだろう。そう思うといやなことを避けて生きてきた人間であったと思った。たぶんこの場面の中に私を登場させたなら、きっとエゴイストの「自分かわいい」かっぱおやじにも引けをとらない人間であったと思った。


by Eiji.K

◇ 「あとがき」の中で「引き揚げの話」は夫婦間で禁句になってしまっており、夫である新田次郎の作品の中にもその片鱗さえも書き込まれていないとある。自分の近親者の中にも戦争経験者は多数いたが、戦争の話を聞いたことがない。
  人間は、極限の生死をさまようような経験をすると、その渦中では人間のエゴが露骨に露わになることでもあり、他者に話すことではないのだろうか。

◇ 敗戦で生きて帰れることが困難な逃避行で、頼りになるべき男が兵隊や捕虜にとられてしまい、途方に暮れた女・子供中心での脱出劇では、集団内での相互不信、疑心暗鬼、わだかまり等の厳しさ、いたたまれなさは過酷である。結局、戦争の悲劇を最終的に被るのは女性たちであるという事実をよく示している。

◇ また、成田さんという団長が逃避行の中で置き去りにされてしまう場面があるが、高齢者もまたこのような悲惨な状況の中では女・子供同様、犠牲になったことが多かったのだろうと想像できる。

◇ 苦しい脱出劇の中で引揚者は、どうせ死ぬにしても一歩でも日本に近づいて死にたいという「望郷の念」が書かれているが、この感情は現代の我々には経験がなくわからないが、日本人に共通している大変強烈な感情なのだろうと思う。

◇ 自分の子供たちが飢えているのに他の家族が食事をしていることを見せなければならない状況を作者は“人間のいかなる部分に加えられる残酷よりも食べられないということを自覚させるほど大きな罪はない。”と言っている。
  一昔前の日本では当たり前の光景であったことであるが、現代の飽食の時代では全く考えられないことである。

◇ 母親として子供たちを日本に生きて帰らせるために苦難を乗り越えてきた母性の強さは素晴らしく、故郷に帰り、家族に会う場面は事実に即したことであり感動的である。

◇ 息子の正広がジフテリアに罹り生死不明な状態になり、しかも血清注射を打つ費用が工面できないようなときに、救世病院の医師に時計を1000円で買い上げてもらい息子が助かった話が出ているが、そのような医師(日本人)がいたことは救いを感じる。

◇ 宮尾登美子の「朱夏」はこの小説と同様の内容である。