2018年6月6日水曜日

「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子

2018/6/6
By Eiji.K

◇ 桃子さんの心境は、実際に体験したものでないと書けない、つまり若い人には書くことができないものだろうということを感じた。そういう意味で今後の高齢化時代に合致した現在の時代が要求している題材であり、広く世間に支持されるだろう小説である。

◇ 桃子さんは74才であり、一般的には人生の坂を駆け下りていく年齢であり、今後は「残りの人生」、「余分の生き残り」というネガティブなイメージがあるが、それを払しょくする精神的にタフで前向きな姿勢に圧倒され、ある種理想的な老人を描いていると思う。

◇ 桃子さんは作者の分身であり、作者の夫の死は悲しみだけではなく、そこに豊穣があると言っているがこのことが小説のテーマであり、作者の言いたいことだろうと思う。

◇ 気になった文章表現
 ・ 娘に初めて老いを感じた。自分の老いは散々見慣れている。だども娘の老いは見たくない。
 ・ 自分より大事な子供などいない。
 ・ 自分のような人間、容易に人と打ち解けられず孤立した人間が、それでも何とか前を向いていられるのは、自分の心を友とする、心の発見があるからである。
   →前回の五木寛之の「孤独のすすめ」で“年を重ねるごとに孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知る。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半のすごく充実した生き方のひとつだと思うのです。”⇒老後の孤独をどう楽しむかが共通のポイントとなっている。
 ・ でいじなのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛に膝まづくのは止めねばわがね。
   一に自由。三、四がなくて五に愛だ。それくらいのもんだ。
 ・ おだやかで従順な自分は着込んで慣れた鎧兜、その下に凶暴な獣を一匹飼っていた。猛々しいものを猛々しいままで認めてやれるなら、老いるという境地もそんなに悪くない。
 ・ 周造が亡くなってからの数年こそ自分が一番輝いていた時ではなかったのかと桃子さんは思う。平板な桃子さんの人生で一番つらく、悲しかったあのときが一番強く濃く色彩をなしている。
 ・ 子供を育て上げたし、亭主も見送ったし、もう桃子さんが世間から必要とされる役割はすべて終えた。これからは桃子さんの考える桃子さんのしきたりでいい。おらはおらに従う。
 ・ いつか桃子さんは人の期待を生きるようになっていた。結果としてこうあるべき、という外枠に寸分も違わずに生きてしまったような気がする。
 ・ 周造は惚れぬいた男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きで見たかったのす。思い通りに我の力で生きで見たがった。それがおらだ。
 ・ まだ戦える。おらはこれがらの人だ。まだ、終わっていない。