著者 林望
平成22年9月1日(水)
by EK
[学問の愉しみ]
◇ 作者も言っているが、知性を論じること自体がその人の独断と偏見によるものとなる。それだけ知性とは簡単に解明し、提示することが難しい代物であると思う。
この本は作者の個性に基づくエッセイであり、共鳴できるところもあるが、反発・疑問に感じるところも多々ある。
◇ 「一芸を身につける。」ことがその他のことについても応用が利くようになる。→との指摘は実感できる。
◇ 学問は「知識」を得ることではなく、「方法」(研究史・注釈)を身につけることである。→との指摘は理解できるが、それができるのは頭が柔軟な若い時だけとの指摘は不遜である。(専門学者になるためならばよいが。)
◇ “若い時代というのは、何よりも自由な時間に富んでいるってことです。それが若いということの最大の意味です。”“若いときに仕込みをしなかった人は、そこで圧倒的に若い頃の「ツケ」を支払わされる。”→偏見である。
(“絶対的年齢ではなくてと”いっているが。)
◇ 学者や研究者は知性を身につけられる環境や機会があるが、官や会社の人は一般的にその組織の一歯車として経緯し、突然定年を迎えて呆然とする。等の表現は官や会社に対する一面的な見方である。むしろ、学者や研究者の狭い世界の問題点を考えるべきではないか。
[読書の幸福]
◇ 耳で聞く本の楽しみ→今度実践してみたいと思う。
◇ 本はすすんで汚すべし→蛍光ペンで線を引くことが本を読む充実感・満足感の印になっている。
[遊びは創造]
◇ 遊びの強迫感(連休や夏休みはどこかに行かなくちゃ)はある。→家に閉じこもり何もしないことは苦痛であり、作者のようなことはできない。
◇ “評価されなければ何にもならない”→学者的発想である。ボランティア等の無償の行為をどう捉えているのか。
by TI
納得する部分と、いやちょっと違うだろうと思う部分がある。物事を継続できる才能がある人たちばかりではないので、反発も出るのではないか。
要約すると、下記が言いたいのか?
(「学問の愉しみ」「読書の幸福」「遊びは創造」の章立てがタイトルに合っていないように思える。)
“知性を磨くとは、自分を確立し、方法論を学び、評価されるまで愚直に努力することである。”
・「知性」というものは、基本的に「方法」の有無に係っている。端的にいってしまえばそれは、ものの見方なんです。ものの見方
→ゼミの教授(会計学)からも同様のことを教えられ、社会に出て納得した部分である。
・知識は個別的なもの、方法は普遍的なもの。
・大学は方法を身につけさせる教育を行い、カルチャーセンターは知識を伝授する。
→受講だけで止まれば高尚な遊び、生かすことができれば教育になる。
・いい先生につくことが重要である。大学ではよい研究者はよい教育者である。
→実感できなかったが、重要と思う。探す努力をしなかった結果か。
・大学における学生の教員評価などアメリカ的なやり方の危険性
→企業における社員評価にも、アメリカ流の悪い面がでている。相手に媚びるようになる。
・福沢諭吉の「私の独立」 出世の方便に堕した学問 を非難。
→しかし、今でも続く「有名企業に入るために、有名大学に行く。」
・本居宣長「年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」
→要領よくなんて考える前に、寝る間を惜しんでやれ。但し、強い動機が必要
・読書は何のためにするのか?
→「その人にとっての意味」があればよい。(自分に役に立つ、楽しい)
・名著とは流行である。
→流行しているから読まなくては!
・団体旅行には、金をもらっても行かない。
→目的(安さ、気楽さ)のために妥協するのは、非難すべきことか?
・書評というのは、基本的に「この本読んでくださいね」というものでなきゃいけない。
→何を読むかの参考にしたくて書評を頼りにするのだから、その通りと納得。
・時間を有意義に過ごすとは、目的を持って生きることなんだ。
→目的を持つことの難しさがある。(会社員であってもできること)
・選択の自由があることが重要
→選択肢がありすぎることの、居心地の悪さ。ブランド品、セレクトショップ
・評価されなければ何にもならない。
→結果主義にならないか。プロセスが大事ではないか。
・諦めず、倦まず弛まず、いつも前を向いて、最善をつくして努力さえしていれば、やがて天がそれを認めてくれるだろう。
→そう信じることで、前に進めるのだと思う。
以上