2019年4月3日水曜日

「洟をたらした神」  吉野せい

平成31年4月3日(水)
by Eiji.K

◇ 農業開拓民として生き抜いた作者の歴史をたどる内容であるので、文体が重く、一気に読むことができず読破するに時間がかかった。

◇ 作者が最後の方で述べているが、農業が始まった時代から昭和の40年代頃までの開拓民の生活はあまり変わっていないのではと思われ、その意味でここに書かれている生活・感情・自然との関係等は貴重な歴史遺産であると思う。

◇ 各編の感想

● 春
  めんどりが11羽のひよこを一人で育て、作者の家に帰ってくるという話は家畜に対する深い愛情が感じられ、感動的である。
● かなしいやつ
  北海道開拓で疲れ果て、なくなった友人猪狩満直の話
● 洟をたらした神
  おもちゃのヨーヨーを買い与えることができない親の立場から、6歳の息子がヨーヨーを自ら作ってしまった驚きを書いているが、この話が表題になっている理由が不明。
● 梨花
  文章を読みながら目頭が熱くなった経験はあまりない。それだけこの文章は強烈で鮮烈である。この人の文章能力はすごいと感じた。
● ダムのかげ
  健康や命と引き換えの悲惨な炭鉱夫の話。
● 赭い畑
  夫が特高に連れていかれ、残された子どもたちと産後の作者がこの場所で生きていくしかないと思う様には開拓民としての逞しさを感じる。
● 公定価格
  戦前の闇取引は庶民生活の日常であったが、それを国家権力でいじめる話。
● いもどろぼう
  農作物泥棒は現代の社会現象ではなく、昔からあったという話。
● 麦と松のツリーと
  敗戦前後の外国人捕虜とのエピソード
● 鉛の旅
  入隊した息子に会いに行く母親の切なさが心を打つ。途中出会った出兵する息子を抱きしめて嗚咽する母親の姿に対して作者は、“とりすました仮面をかぶって人前をとりつくろう自分たちの嘘っぱちな世間体のみえをかなぐり捨てているむきだしたままのこの親子の別れの一幕に頭を下げろよ。一言の口出しも許さぬぶち割ったほんものの人間の極限の悲しみの姿がこれではないのかー”と述べている作者の鋭さ、感受性の豊かさに共鳴する。
● 水石山
  夫混沌とはどんな人物であったのか知りたくなるとともに二人の夫婦生活の心の機微表現がうまいと感じる。
● 夢
  夫混沌と山村暮鳥との関係はこの本ではよくわからないが、「夢」の中の文章で、“私の日頃の孤独冷酷な生き方は、周囲を凍らせ苦しませ、涙を与え憤らせていただろうか。つらいが決して間違いではない。”と言っていることが印象的である。
● 凍ばれる
  廃村の老人のわびしさを述べた暗い話
● 信といえるなら
  混沌とその友人たちの人間関係の経過が分からないが、作者の言う“凄まじい信頼”に羨ましさを感じる。特に、現代の時代にはこのような人間同士の深いつながりというものは生じにくい社会になっているのではと思う。
  また、混沌の詩の表現は少し難解であるが、吉野せいの文相表現にも通じるものがあり、影響を受けたのではと思う。
● 老いて
  混沌のこの詩を読むと夫婦関係はどんなものだったのかと思うが、吉野せいの我の強さがなければ厳しい開墾生活はできなかったのだろうと感じられる。
● 私は百姓女
  自然を相手にした農業を一生やり遂げた達成感は、サラリーマンとして組織で動いてきた達成感よりより充実するものがあるだろうということは理解できる。


以上