2008年6月22日日曜日

「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論   (2008年6月11日)

‘「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論’
樋渡啓祐 著  
ナビゲーター  星合達郎(鳩山)

若手・革新派首長の行動をみると、2つの大きな流れがあるように思われる。

まずは行政改革派・・・いま話題の橋下徹大阪府(「大阪維新」宣言)、ややさかのぼれば田中康夫・前長野県知事(「脱ダム宣言」など)、北川正恭・前三重県知事(「県庁内大掃除」計画)、そして神奈川県・松沢成文知事+中田宏横浜市長のコンビ、さらにさかのぼれば北海道ニセコ町の逢坂誠二・元ニセコ町長(現・民主党参議院議員、わが国最初のまちづくり条例、個別予算書の公開など)・・・それまで惰性的に行われてきた国や県の行政のムダを省き、議会の利権構造にも異を唱える首長たちである。

次が、トップセールス派・・・東国原英夫宮崎県知事、今回の読書会のテーマである樋渡啓祐武雄市長、いずれも職員の先頭にたって地元ブランドの販促につとめる典型的PRエージェントである。

この行政改革派、トップセールス派首長たちをリストアップしていくと、何か彼らに共通するものがあることに気付かないだろうか。

一見無手勝流のようで、実はしたたかな計算に基づくキャラクター、いささか強引に事を進めるせっかちさ、失敗をおそれぬ行動力、際だったカリスマ性をもたないにもかかわらず、マスコミを自在に操るテレビ巧者、コピーライター顔負けのキャッチフレーズ名人、高齢者層を核に熱狂的な女性ファンの存在・・・いまなお既得権益にしがみつこうとする高級官僚や与党政治家に対して、いかにも地方自治体の先行き不透明と国政不信、地域格差拡大に基づく閉塞感をうち破る平成維新の担い手としてふさわしい人材と思わせる。 

話題はそれるが、時として注目されるようなユニークなアイデアは、すでに存在する事実の組合せ方の変化に過ぎないといわれる。セレンディピティ(偶発性による思いがけぬ発見=失敗を成功に変えるプロセス:例えばアレクサンダー・フレミング(ノーベル医学・生理学賞/45)によるペニシリンの発見やソニー・江崎玲於奈氏(ノーベル物理学賞/73)の半導体ダイオード・トンネル効果の発見、さらには田中耕一氏(ノーベル化学賞/02)の生体高分子の質量分析における脱離イオン法の開発などでも、「予期せずセレンディピティを招くためには、常識を捨てて、まず変化を求めよ。プロ根性に徹せよ」という点が強調されている・・・上記の若手首長たちにも、こうした変革を求める感性が鋭く研ぎ澄まされている。

樋渡市長が自治体内に営業部(戦略課、がばいばあちゃん課=観光課)を設け、自らが先頭に立って走り回るアイデアは東国原宮崎県知事のそれを彷彿とさせるし、総合計画をイラスト化してカレンダーをつくり全戸配布するアイデアは、逢坂誠二・元ニセコ町町長の住民任せの予算選択手法を思い起こさせる。単なる思い付きというより、変化を創り出そうとするプロ根性のなせる業(わざ)・・・・。

また、99%マネ×組合せ+1%オリジナル論を堂々と展開しヒト・モノを次々にブランド化していくアイデアは、異色の広告クリエーターそこのけである。レモングラス、日田天領水、ゆほほ武雄温泉化粧水、楼門朝市、etc.・・・・「仕事+趣味→とてつもなく大きいものになる」論は、地域振興策の策定に苦慮する地方中小自治体の首長が参考にすべきだと考える。

一方では、市長室を2人の実務派副市長との相部屋にし、肝心の首長はフリーの立場で呼ばれればどこへでも気軽に出かけていくPRマインドは、よほど自信がなければなかなかできないだろう。まして地域名士の晴れの舞台となるはずだった平成市町村合併記念式典を高校生グループに任せようという暴挙は、いわば言語道断、よく議会や関係者たちが了解したと思う。
「そこまでやるか」・・・樋渡市長のPRスピリットは徹底している。
では、ここで樋渡市長の著書を離れて、「まちづくり・まち起こしの是非」論を考えてみたい。最近の地方社会・経済の低迷に応えるべく政府・各省庁が競うようにして施策化する補助金事業(地域力再生事業、地域元気活性化事業、地域力連携拠点づくり事業などなど)だが、この種の国策事業の前例をみると、明らかな失敗続き・・・原因は、官僚機構や利権型政治家(政治屋)の考える「まちづくり・まち起こし」と地域住民の望む「まちづくり・まち起こし」のイメージが完全に離反してしまっているところにある。

すっかり疲弊しきった地方中小市町村を立て直すためには、地域自治体や地元企業、さらにNPO、住民ボランティア団体を加えた民間パワーを核に、たっぷり時間をかけながら自律的に、ホップ・ステップ・ジャンプで「らせん」を描くように地域活力を熟成させていくべきなのに、国の思い付き的、ばらまき方式の補助金事業はローリスク・ハイリターン型の短期投資(長くて2年間)に終始し、地域の要求するハイリスク・ハイリターン型長期投資とは相容れない。仮に事業をもらって進めていっても、ある段階で必ずアイデア倒れ&資金ショートで二進も三進もいかない事態に陥ってしまいがちである。つまりは民家のためのものではなく、官僚のための補助事業なのだろうか疑ってしまう。

本書中で樋渡市長の無二の親友と触れられている大阪府高槻市の北川潤一郎氏=じゅんちゃんの口癖「まちづくり・まち起こしに傍観者や評論家は要らない。実際に体を動かすプレーヤーが必要」は、まさに武雄市の「まちづくり・まち起こし」に活かされている。樋渡市長自身もこのことをよく承知しているようで、矢継ぎ早にアイデアを繰り出してはステージ上のプレーヤーを動かし続ける。

たとえ華々しい成功例にならないしとしても、人並みを超えた好奇心と発想力を武器にギリシャ神話のシジフォスのように次から次へと樋渡劇場の上演テーマを積み重ねていかねばならない宿命を、市長自身も感じているにちがいない。自ら「力弱い」、まして「ガンバリズムがもともと嫌いなタチで、ともかくサボるのが大好き。タイ語で‘マイペンライ’、沖縄弁で‘テーゲー’、宮崎弁で‘テゲテゲ’、という気の抜けた言葉が大好きだ」と自称するが、この点でも稀代の戦略家の面目躍如である。

しかし、地方自治体の首長の任期は4年間、まだ若いから2〜3期を継続するとしても、樋渡市長が役所を去った後の人材確保は大丈夫だろうか。もちろんこの間に積み重ねられた貴重なノウハウの数々は、誰か適材を得て確実に継承されると思うが・・・・。

特に注目したいのは、「がばいばあちゃん」を中心とする地元女性パワー、何事にも優柔不
断で面倒くさがりな男性諸氏を尻目に、老若を問わず女性特有のこだわりのなさ、多少のミスにもめげない元気力、結束力で樋渡市長の播いた種子を力強く育てていくのではないだろうか。


今回は「映像関連テーマをしたら」という皆さまのご期待に反して「異色・異能の田舎市長の‘まちづくり’奮闘記」を読書会テキストに採択しました。日頃乱読気味の選者の見識違いへのご批判を含めて、ぜひ忌憚のないご意見・ご感想をいただければ幸いです。

以上

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