2015年1月15日木曜日

「ボタニカル・ライフ - 植物生活」  いとうせいこう

平成27年1月14日(水)
by Eiji.K

◇ 現状での私の植物鑑賞・花を愛でる対象は、山登りをやっている関係からか、高山植物
 である。高山植物は一般に標高2000㍍程度から現れるが、殆んどは厳しい環境条件下(寒
 冷・強風・ガレ場等)で生息している。花の種類によっては、その山にしか存在しなく、
 見られる時期も限られているものが多い。したがって、それらはこちらから出かけること
 で初めて見ることができる花である。

◇ 鶴ヶ島市から近郊へ季節ごとに花(桜・芝桜・ツツジ・あじさい・牡丹・藤・曼珠沙華
 等)を見にゆくことも多いが、これも咲いている所へ出向く行為である。

◇ この本に出てくるベランダーの定義として、マンションやアパートなどで植物を鑑賞す
 る前提は、地面で植物を育てるのではなく、鉢の中で育てることが基本となる。地面と鉢
 の植物に対する環境差は大きい。地面では一度埋めれば枯れるまで植え替えをすることは
 稀であり、水やりも少ない。一方、鉢では頻繁に水やり・日当たりを考慮した移動等が必
 要になる。見方を変えれば植物の生殺与奪権のウエートがベランダーでは高いといえる。

◇ 上記は、花を愛でる方法として自然の中でみることと、加工した空間の中で見ることの
 違いで花を愛でることの行為は同じである。

◇ 我が家の窓際にも鉢植えがいくつかあるが、この作者のようにもっと愛情を持って観察
 し、こまめに世話をしなければいけないことを生殺与奪権を持っている者はその義務を果
 たさなければいけないことを知らされた。

◇ 良かった箇所
 ・アマリリスに対する表現:アマリリスは最高だ。こいつとなら結婚してもいい。
 ・レモンポスト:我が家のレモンポストもほっといたままで20年以上が経っている。
 ・盆栽:ベランダーと盆栽の違い
 ・サボテン:植物人間などという言葉は人間に対しても植物に対しても失礼だ。
 ・シクラメン:「シクラメンのかほり」との対比は秀逸である。
 ・春:植物はみんな春が来ていることを知っていたのだ。
 ・抽象的な他人の目:春の花の奇跡的な饗宴に対する感動は、ベランダー一人が見るだけ
  では存在の重みに吊り合わないので他人の人にも見てもらいたいという気持ちの表現
 ・ヤゴ:昆虫の生体に対する感動
 
以上


by Kumiko.O

• ベランダーとはベランダに人化する英語の接尾辞“-er”を付けたもので、ベラダンにプランターや鉢を置き、そこで花や野菜を育てる人のことをいう。一軒家の庭で園芸(ガーデニング)をする人のことをガーデナーと呼ぶが、ベランダーはその対語にあたる。アパートやマンション、庭のない一軒家に住む人向けにベランダ・ガーデニングを提案する園芸ライフスタイルマガジン「PLANTED(プランテッド)」の編集長“いとうせいこう”による造語である。(日本語俗語辞書より)

• これによれば、私は「ベランダー」である。現在、屋外に43鉢、室内に16鉢ある。
• この本を読んで、なぜ著者は「ベランダー」になったのかを考えた。
• その前に、自分のことを考えてみた。なぜ私は50鉢以上もの鉢やプランターの植物を育てているのか?

• マンション住まいでは、どうしても緑が少ない。窓の外に目をやった時に緑に癒されたいと思ったから。対象に選ばれた植物は特に系統的に選んだものではない。私に癒しを与えてくれそうなもの。ゴールドクレスト、トネリコ、縞薄、蛍袋、食わず芋、君子欄、水仙、朝顔その他諸々。
• 選んだものに、愛情を感じているわけではない。相手が一方的に癒してくれればよい。
• ここが、著者と私の違いのような気がする。著者は植物に関心があり、それはペットショップにいって、目が合ってしまった犬を購入するのと似ているような気がした。

• 植物と著者の間に、ペットに近い関係ができているように思われた。よく、コレクターと言う類の人がいて、「桜草」「十文字草」「海老根」「さつき」などを収集している人がいるが、その人たちは綺麗な花を咲かせること、珍しい品種を集めることに重点がおかれていたように思う。それと著者は違っている。
• 「・・・かよわい花を西日に当てて悠然と煙草などを吸っていることもある。植物からしてみれば、俺は愛の足りない人間にちがいない。しかし、それでも僕は十分必死なのだ。しおれた花には心をいため、表土を覆ったカビをみればガクゼンとする。その時、俺はかつてないほど俺以外の生命を愛しているのである。」愛していると言い切っている。私と著者の植物に対する感じ方と距離感を感じる点である。
• 特に著者の思い入れを感じた植物は「アマリリス」の章である。まるで滑らかな肌をもった女性に接するような著者の視線を感じた。

• なぜ著者は「ベランダー」になったのかについては、推察の粋をでないが「人は何かを育てることが好きなのかもしれない。昔はやったタマゴッチも育てごっこだった。その場合、育てる対象が生きているものの方がより感情が入りやすいのかもしれない」と思ってみた。

• この本を読んで良かったのは、自分の鉢植えの植物に対する接し方を見直すことができたことである。この本を読まなければ、「愛」などを思うこともなく水やりをしていた。これからは「おはよう」などと声でも掛けながら水をやってもようかと思った。

以 上


2014年12月13日土曜日

「テキヤはどこからやってくるのか?」  厚香苗

平成26年12月10日(水)
by Eiji.K

◇ テキヤ社会は伝承社会であり、書物として明文化されていないことから、  
  作者はフィールドワークとしてテキヤ集団に飛び込み、長期間調査した成
  果としてテキヤ(露天商)の歴史や地域性、特殊性等について明らかにし
  たことは評価できる。

◇ 特に女性がテキヤ社会の構成員として認められない男社会中心の異文化の
  世界に対し、女性として研究対象にしたことは面白い。

◇ あとがきにあるが、学術書としてまとめたものを分かりやすく、読みやす
  くするため、新書形式にしたとあるが、全体としては研究論文形式であり、
  読みにくさは残っている。

◇ 表題にあるテキヤの実際の構成員の生態(どのような場所に住んでいるの
  か、商いの勤労日数は月どのくらいなのか、一祭でどのくらいの稼ぎがあ
  るのか、家業として何年ぐらいの勤続年数なのか、通常の家族構成はどう
  なっているのか)など分かりにくい内容ではあると思うが、知りたい内容 
  が書かれてなく標題だおれになっている。

◇ 項目立てにも同じようなことが言える。
  「露店は社会の病気か」とある内容について、社会病理研究は、それを「ま
  ともじゃないもの」として取り扱うことから始まった。と述べているだけ
  で露店は社会の病気なのかどうかの作者の見解が出ていなく、突っ込んだ
  内容となっていない。

◇ 第5章 露店商いをめぐる世相解説で親分子分関係、なわばり、口頭伝承
  等この本の最も興味のあるところが書かれているが、表面的な感じがする。

◇ テキヤを身近に感じるのは個人的には川越祭である。毎年見に行っている
  が、山車のひっかき合わせとお囃子が見所だが、何百も出ている夜店で食
  事をする楽しみは、毎年通う理由の大きなものとなっている。

以上

2014年11月12日水曜日

「気が遠くなる未来の宇宙のはなし」  佐藤勝彦

平成26年11月12日(水)
by Eiji.K

全部の項目ではないが、気になった内容や面白そうな現象等を列挙しました。

■ 氷期の到来
  現在は、間氷期の時代であるが、1500年から3万年後には氷期になる。
  地球温暖化(二酸化炭素の増加)は自然災害をもたらすと言われているが、氷期になることを 防ぐ効果もある。

■ スパーフレア
  数千年に1回程度、太陽のスーパーフレアが発生すると地球が大停電になり、原発の冷却装置等が使えなくなる恐れがある。

■ 磁極の逆転
  太陽のÑ極とS極は11年周期で逆転している。地球も過去360万年間で11回逆転している。

■ 北極星は動く
  現在の北極星はこぐま座であるが、地軸の歳差(えんさ)運動(2万6000年周期)により変更してた。

■ 恒星の動き
  動かないように見える恒星は、実際は猛スピードで別々の方向に動いている。
  太陽は、銀河系内を秒速240㎞で周回しており、一周するのに約2億年かかる。

■ 小惑星の地球への衝突
  6500万年前の恐竜を絶滅させた小惑星の衝突は直径10キロ級の天体。
  広島型原子爆弾の10億倍の規模(数千メートルの津波、衝突の冬等)は1億年に1回程度3500万年後には現実のものとなる可能性がある。→スペースガードセンターによる観測開始

■ 地球と月の関係(地球の自転は遅くなっている)
  45億年前   :地球の自転は6時間 月までの距離は2万5000㌔
  現 在     :地球の自転は24時間 月までの距離は38万4400㌔
  100億年以降:地球の自転は50日 月までの距離は55万㌔

■ 2億年後の超大陸
  プレートテクトニクス理論により現大陸はひとつになる。(6回目の1大陸)
  地球環境の激変、生命の大量絶滅→生き延びた新生物が地球の主役になる
■ 10億年後、太陽が明るくなり、地球の海が蒸発
  蒸発した水蒸気が温室効果となり水が干上がる。30億年後には400度の灼熱地獄になる。

■ 太陽が50億年後、赤色巨星に
  地球は飲み込まれるか、黒焦げになる。

■ 太陽の最後
  赤色巨星→白色矮星→黒色矮星(太陽の死) (太陽より思い恒星は超新星爆発する。)

■ 銀河の10億年後、30億年後、100億年後
  10億年後、天の川銀河は最も近い銀河である大小マゼラン銀河を吸収する。(銀河団)
  30億年後、天の川銀河とアンドロメダ銀河は衝突する。(局所銀河群)
  100億年後、超巨大楕円銀河ミルコメダは暗い恒星、褐色矮星、白色矮星、中性子星、巨大な ブラックホールで構成される天体となる。恒星(太陽等)同士の衝突はない。(太平洋に浮かぶ2つのスイカ)

■ 1000億年後
  138億年前のビッグバンにより宇宙は生まれ、あらゆる物体は互いに遠ざかっているが、一方 で物体同士の間では重力がお互いに引きつけている。具体的には、重力が膨張より強い銀河団 内では数百億年後に全ての銀河が合体し、スーパー銀河になる。しかし、1000億年後になると、スーパー銀河間は距離があるので重力の力が弱く、お互いに離れていって、観測すらできなくなる。

■ 100兆年後
  スーパー銀河内にある全ての恒星が燃え尽きてしまう。

■ 100京年後
  銀河の中心にあった巨大なブラックホールとわずかな死んだ星だけが残る。

■ 10の34乗年以降
  100京年(10の18乗年)から10の34乗年後になると、物質の基である原子が崩壊され、ブラックホールだけが残る。(ブラックホールは物質ではない。)

■ 10の66乗年以降
  残されたブラックホールも大爆発して消滅する。宇宙には全てがなくなってしまう。

■ 仮設:ビッグクランチ
  862億年後、宇宙の膨張は止まり、収縮に転じる。
  宇宙の中に物質やエネルギーがたくさんあればそれがブレーキになり収縮が始まる。

■ 宇宙の最後
  1点から生まれた宇宙は1000億年間膨張し、その後、1000億年かけて収縮し、合計2000億年の寿命を終える。最後はブラックホールに飲み込まれる。

■ 宇宙の曲率(曲がり具合)
  正=宇宙の物質やエネルギーの重力により宇宙は収縮する。
  0=宇宙の膨張速度は遅くなるが収縮はしない。
  負=宇宙は膨張し続ける。
  現在の宇宙の曲率はほぼ0である。
  天体の恒星や惑星は全て原子でできており、その合計値は5%程度しかない。
  残り95%は未知の物質(ダークマター)や未知のエネルギー(ダークエネルギー)である。

■ 加速膨張(インフレーション)
  138億年前のビッグバンの時、宇宙は急膨張したが、その後、減速膨張になったが、60億年前から第2の加速膨張をしている。これはダークエネルギーの存在による。

■ ファントムダークエネルギー(仮説)
  宇宙が膨張するに比例して密度が増える特別なエネルギーがある場合。
  暗黒(ダーク)エネルギーの密度が増えると、宇宙の膨張が加速され、天体も原子さえバラバ ラになってしまう。(ビッグリップ)

■ ビッグクランチを回避する方法  
  収縮する宇宙の中に別の子ども宇宙を作って脱出する。
  私達の宇宙もこのようにして生まれた無数の宇宙の一つにすぎない。
  我々のいる銀河宇宙は、10の200乗個もある。(マルチバース)

■ 最終的な人類の将来
  自己設計により人類は「宇宙生命体」へと進化し、全宇宙に存在する。

 
<感想>

◇ この本の前編部分は、宇宙の出来事や既知の知られている内容等であったので読書会の題としては面白いと思われたが、後半の部分に現代宇宙論、最新学説等が出てきて文章は平易で分かりやすいのだが、頭がついていけない部分が多かった。

◇ 特に、10の66乗年以降の話などになると実感が全くわかず、表題にある「気が遠くなる」はなしの意味が理解できた。

◇ 作者の佐藤勝彦氏は今年度(26年)の文化功労者に選ばれている。

◇ 初めに天文学の存在意義が書かれている。
  「人間と宇宙との関係を知ることは、考えの単位が数億年先のことで、人間の寿命からすると 生活における「実用性」はないが、人間は知的生命体であり、存在する意義(自分の立ち位置)を今後とも考え続けていくため、”我々はどこから来て、どこへ往くのか”を知りたいと思うことから天文学を極める意義・必要性は高い。」

◇ 我々の立っている地面は高速で動いている。
  地球の自転速度:1700㎞/時速  公転速度:10万7280㎞/時速
  更に太陽系は2億年で銀河を一周:86万4000㎞/時速
  我が銀河は近くにあるアンドロメダ銀河と合体:108万㎞/時速(30億年後、局所銀河群) 
  局所銀河群同士は更に高速で離れている。

◇ 先月の分子生物学の話(我々の体は分子レベルで数ヶ月で全ての細胞が入れ替わっている。)も踏まえると、我々は変化している空間の中の一瞬に存在していることになる。

◇ 地球規模で見ても、プレートは動いており、空の雲も常に動いている。それらが動かなくなれ ば地球は死んだことになる。地球は変化し続けていることで”生きている”といえる。

◇ 以上の事実より、宇宙は常に動いているという宇宙の原理(私的名称)を我々の人類の生活に当てはめた時、我々の生活が停滞・退歩することは宇宙の原理に反することであり、諸々の変化をいかに享受し、受け入れ、利・活用していくのかが生きていくことであり、生き延びる方法であるのではと思う。一方、停滞・退歩することも変化の一つであると言えなくはないが、悠久の宇宙の流れの中では淘汰されるのではないかと思う。


2014年10月1日水曜日

「生物と無生物のあいだ」   福岡伸一

by Eiji.J

◇ この作者の「動的平衡」の本を22年に読んでいる。当時の感想文として、
 ・表題の「動的平衡」とは60兆個の細胞で構成されている人間はその細胞自体は常 
  に高速で生まれ・死滅することを継続しており、動いている中での淀みであること
  を表している言葉である。
 ・身体は、分子的に見ると、数か月前とは全く別物になっている。
 ・生命とは、動的な平衡状態にあるシステムである。一輪車に乗っているのと同じ
  である。

◇ 今回の本の内容は、作者が米国の研究機関で分子生物学の実際の研究実態
 と、先人たちの歴史が書かれているが、文章表現が上手く、学術的な記述内
 容を平易の言葉で読ませてくれる。

◇ ポスドク研究者の実態が出てくるが、作者は、アカデミアの塔は実際は暗
 く隠微なたこつぼ以外のなにものでもなく、死んだ鳥症候群といっている。
 身近に同種の友人がおり、特に理科系の大学院卒業者の就職難は現在でも深
 刻な状況にあるらしい。更に、研究の専門性は世界が相手となるため、英語
 はもとより数ヶ国語を習得しなければならない苛酷さは、凡人では立ち入る
 ことができない領域であることを当時、感じた。

◇ ”われわれの体の大きさと原子の大きさから、なぜ、われわれの体はそん
 なに大きくならなければならないのか”の疑問についての回答が出されてい
 る。原子の活動の誤差率が10%あるとすると高度な秩序が要求される生命活
 動では致命的になる。そのため、実際の生命活動では個々の原子活動の何億
 倍かの原子活動となるため誤差率を急激に低下させることができると書かれ
 ており、生命活動の巧みさを知ることができた。

◇ 最後に出てくるGP2ノックアウトマウスの話は、取り組み経過がドキュメ
 ントであり、生命の滑らかな復元力等の神秘さが書かれているが、このよう
 な最先端の研究内容を素人が知れる機会を提供できる作者の表現能力は希有
 な貴重なものである。それは、我々にとって知らない世界を垣間見ることが
 できる読書の楽しみでもある。 


by T.I

生物と無生物の定義について議論が交わされるのかと思って読むと、初めは肩透かしにあったような気がしたが、2回読んでみて少しだけ理解できた。

Q.生命とは何か?  A.自己複製を行うシステムである

DNAの二重ラセン=ポジとネガ が存在することが、傷ついた細胞を修復するシステムを支えていて、生命維持機能を果たしていると知った。

命が「動的な平衡状態」にあるとの説明は、新たな認識で時の流れの中に自分がいるとの感覚を持った。

研究のステップのち密さがすごい、その中で研究成果を誰よりも早く発表しないと、その努力は報われないという厳しい世界で、そのストレスに耐えるものだけが成果を得るのだと分かった。山中教授が過去の研究のうえに自分の実績があると謙虚に話していたことや、STAP細胞問題が起こるのが少し理解できた。

ウィルスは代謝を行っていない、鉱物に似た物質、→ しかし、自らを増やすことができる(自己複製の力を持つ)→ ウィルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。

核酸=DNA 4つの要素(ACGT)からなる=遺伝子の本体(遺伝子情報を担う物質)

シャルガフのパズル:AとT、CとGの含有量は等しい →DNAは単なる文字列ではなく、必ず対構造をとって存在している(相補性) → 傷つく細胞の補修を担保し、平衡状態を維持している

同業者レビューの不公正?(世間が狭い、透かし見)
→ 透かし見したノーベル賞受賞者への怒りと、若くして亡くなった研究者への同情、、敬意があふれている。
→原発の安全性審査の問題と同じ、狭い分野の同業者しか論文の価値が理解できない。


原子はなぜそんなに小さいのか?(1オングストローム=100億分の1m)
→生命は秩序を構築、大きいから

平均からはずれるふるまいをする粒子の頻度は、平方根の法則による
  √100=10  √1,000,000=1,000
  10/100=10%  1,000/1,000,000=0.1%  影響度が違う

エントロピー増大の法則
生命は「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」
 
食べることがエントロピー(乱雑さを表す尺度)増大に抗する力を生みだす
シェーンハイマーの重窒素を使った実験
体は流れそのものである。分解と合成が繰り返され、入れ替わっている。
生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。

生命とは動的平衡にある流れである

内部の内部は外部である→ 生命のリスク管理として存在

ライバルチームとの競争のし烈さ
ES細胞 → ノックアウトマウスの実験 → 不都合は起こらなかった → 生命=動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさに感嘆

この本のわかりにくさは、生物の定義が進化してきた経緯と研究者の運不運、研究の大変さが混在していることだが、自らが研究者として思っていることを書かなくてはいられなかったのだと感じた。


2014年9月3日水曜日

「学問のすすめ」  福沢諭吉

「現代語訳 学問のすすめ」  福澤諭吉著 齋藤孝訳
                                                 
by Kumiko.O

選書した理由、日ごろ私が抱いていた疑問に、この本がどのように答えてくれるか?疑問とは
① 学問は何のためにするのか?
② 生きている中で、迷いや岐路に立ったとき、学問は示唆をあたえてくれるのか?
③ 学ぶことで、幸せになれるのか?

• 本書の「学問とは」普通の生活で役立つ実学である。本を読むだけで学問ということはできない。 ①   学問の定義

• 学問をすることで自分の意識がはっきりし、経済がうまくまわり、幸せな生き方ができる。③

• 勇気と言うものは、ただ読書をして得られるものではない。読書は学問の技術であって、学問物事をなすための技術に過ぎない。実地で事に当たる経験を持たなければ、勇気は決してうまれない。②

• 品格をたかめよ。知識だけでは品格は高まらない。ではどうするか。その要点は、物事のようすを比較すること。これは、個々のあれこれを比較するということではない。こちらの全体と、あちらの全体を比べて、それぞれのいいところと悪いところをあまさず見なくてはいけない。①

• 信じる、疑うということにおいては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか。②

• 世の中を良くしていくことと、自分自身が充実するということ。「国」や「公」と「個」や「私」が常に矛盾なくつながっている。福沢スタイル③

• 人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。物事の相談では、伝言や手紙ではうまくいかなかったことでも、実際にあって話をしてみると上手く治まることがある。③

【感想】
私は、学問を個人的な「内なるものの充実・醸成」と捉えていたが、福澤の学問は「社会」で 生きていくためのものという広い捉え方をしていた。

ばさばさと物事を切っていく文章は、非常に小気味がよかった。私は自分に自信がないた  め、「・・・か」というふうに常に断定を避けてきた。

判断力の基準は、常日頃から磨いていかないと身につかないと思った。遅いけれど。

福沢諭吉の魅力「一言で人柄を表すと、ざっくりしている。こまごまとした前置きや注釈はな く、物事の本質をつかみ一番大事なところだけを取り出して見せてくれる人」。前置きや注釈が長いのは本質をつかみ切れていずに、自分の意見を正当化するための逃げなのか。本質に自信のある人はその部分から切り込めるのか。

「天は人の上に・・・」「天」とは何を指しているのか?神なのか、宇宙的な視点からの天なのか?

齋藤孝という人は、テレビのコメンテーターに出演したりしていてあまり好きではなかったが、「解説」がとてもよく、これだけ読んでも良いと思った。

【結論】
 学問は何のために行うかという、自問に対して私が出した結論は、学問とは「自分」と「社会」をつなぐ媒介である。この結論を得たのは、能楽師の安田登の本「あわいの力」(※が「あわい・あはひ(間)とは「媒介」意味を表す古語」を読んでいて「身体という「媒介」「あわい」を通して、人は外の世界とつながっている。」身体と言う「道具」の習熟が学問ではないかと考えました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
by Eiji.K

◇ この書が書かれたのは明治5年~9年であり、江戸時代が終わり、近代国家に脱皮しようとしていた時代である。したがって、民主主義の意味するところ、国民としての権利と義務、政府と市民の立場、法律の厳守等現代の我々には当然の当たり前のことが試行錯誤の時代において分かりやすく、論理的に書かれていることに敬服する。

◇ 第9~10編のよりレベルの高い学問では「衣食住を得るだけでは蟻と同じ」 であり、後の世で我々の生きた証が恩恵として残るように努力しなければな らない、と言っていることは最もなことであるが、この時代は目標としての 西洋文明があり、戦後ではアメリカ文明という標本があったが、ある意味で それらを乗り越えた結果、現代の日本では資本主義がきしみ始め、民主主義も形骸化されており、学生は衣食住を得るために汲々としている時代になっている。そうした中では「日本人として外国人と競うことが学問の目的」ということは学生への指針とはなりにくくなっており、現代を諭吉が見たらなんと言うのだろうかと思う。

◇ 第13編「怨望は最大の悪徳」の中で”人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。自由に言わせ、自由に行動させて、財産も、社会的地位も、それぞれが自分で獲得できるようにして、まわりがそれを妨 害してはならないのだ。”といっており、言論の自由や束縛されない社会経済活動が必要であることを明治7年に示していることは驚きである。

◇ この本が書かれた時代の西洋文明に対する考え方が、全くの憧れだけでは なく、ヨーロッパ人の一般状況をよく見ていることが伝わってくるし、東洋の中国やインドの植民地化の情勢などの見方が的確なことがよくわかる。

◇ 一般的な啓蒙書、人生指針として当時からベストセラーとなっていたことは理解できるが、斎藤孝訳で最強必読のビジネス書として今後も読み継がれていくと言っていることは疑問ではある。(時代背景が異なりすぎていると思われる。)

◇ 本文中の†(記号)のまとめは非常に有効である。




2014年7月2日水曜日

「博士の愛した数式」  小川洋子

                                              平成26年7月2日(水)
by Eiji.K

◇ この小説には、すがすがしさ、静謐さ、温かさ、一種の気品のようなもの
  が感じられ、読後感が爽やかである。爽やかさの源を探ってみると、登場
  人物は3人しかいないので3人の織りなす家庭愛のようなものが現代の家庭生活環境・時代状況の中で失われているものを思い出させているからだと思われる。

◇ 悲しい過去を背負った老数学者は数学という異次元の世界に住んでいて、男としての矜持を忘れずに持続させており、家庭内の尊敬される主人(生活人としてではなく、権威ある学者)としての威厳を保持している。家政婦として未婚の母である私(主人公)は息子を溺愛してくれる父親像を博士の中に見い出し、また、数学の美しさを博士より教えられ、異なる世界を垣間見る楽しさを感じている。息子は無条件に愛情を注いでくれるとともに難しい数学や阪神タイガースのデータを教えてくれる博士を尊敬している。このような人間関係が現代では尊く、いとおしく見えるのだろう。

◇ ただし、息子が大人の博士の事情を理解し、母親に適応して博士にふるまう健気な態度は10歳の子供に可能なものかと多少疑問に思えるところがある。

◇ 平成18年1月に映画化されたもの(寺尾聰・深津絵里)を見ているが、当時の私の感想文の中に” 吉岡秀隆の数学の授業は素晴らしい。このような先生がいたら幸せであるだろう。”とあった。 映画では、息子が成人して数学教師(吉岡秀隆)としてのエピソードがあったが、小説にはない。

◇ 解説を藤原正彦が書いているが、藤原ていの息子であり、中国からの帰国作品に出ていた近親感がある。

◇ 本屋大賞受賞作品は今年で10年目となるが、この小説は第1回の授賞作である。10年の作品を見てみると、小説として読んだのが5冊、映画で見たものが6本あり、現代の文学賞の中で最も話題となる選定であると思う。

2014年5月7日水曜日

「成長から成熟へ さよなら経済大国」    天野祐吉

平成26年5月7日(水)
by Eiji.K

◇ 広告業界の話なので面白そうかなと思って読んだが、広告産業は経済的・社会的・歴史
 的な影響をまともに受ける業界であり、また、広告評論に関する多岐にわたる引用例も多
 くあることから、内容がかなり幅広くかつ、深みのあるものなので読みにくかった。

◇ 広告とは製品をいかに売るかという手段の一つであり、消費者に買ってもらうことを目
 指した存在であるということは今までも何とはなく分かっていたが、広告の歴史をみると
 改めて知らされたという感じであり、アメリカが手本であったことが分かる。

◇ この本で書かれているポイントを列挙すると、高度経済成長社会=大量生産・大量消費
 社会=地球のグローバル化=都市化=自然破壊と自然の追放=商品の計画的廃品化=欲
 望の廃品化(車のスタイル等)=センスの差別化(キンチョウのCM等)
 上記の考え方・思想はアメリカを中心とした発想であり、その大波が時間を経てそのまま
 日本に押し寄せ、飲み込まれていたことが歴史的によくわる。
  その結果、日本人は「物を大切にし、自然を敬うという感性」を喪失していった。
 こうした戦後の日本経済活動の流れの中での広告の果たしてきた役割は非常に大きかっ
 たといえる。

◇ 戦後日本の経済大国への旅は、人間的な豊かさを求める旅ではなく、物質的な豊かさを
 求める旅であった。GDPの伸び率と生活満足度は反比例する数値は印象的である。

◇ 今後の日本の行く末を「金持ち暇なし国」→「貧乏暇あり国」・生活大国にしていくと
 いう方向が必要であると言っており、考え方は共感できる。

◇ 世界の経済が行き詰まっている現状で、表題の「成長から成熟へ」と移行できる国は世
 界の中でも日本が手本になるということは、日本にとっておおいに励みになると考えられ
 る。           

◇ 特に共感できた項目
 ・テレビCMの許容割合は総放送時間の18%という規制があるにもかかわらずテレビシ
  ョッピングは生活情報番組として認められていることはおかしいとの指摘
 ・政府が出す意見広告は税金で出されているが、一方の意見だけを政府見解として出すこ
  との問題点指摘
以上