「ことばの食卓」 2009年11月18日
著者:武田百合子
夫の武田泰淳の小説は読んだことがあるが、夫人のものは初めてである。
食べ物(枇杷、牛乳、キャラメル、お弁当)とそれにまつわる思い出を、丹念に描いている。次いで季節に伴う思い出に登場する食べ物を書いている。一世代上の作者の描写が、自分の子どもの頃の思い出としてよみがえる。
「シベリヤ」と言う名のお菓子、すっかり忘れていた名前だが、その形と味がはっきりと思い出された。上野の桜はつい最近まであったような風景と思ったが、それでも30年以上も前の記憶になる。仕事中に上野で花見の場所取りができる、古きよき時代の話である。
思い出は、景色と食べ物で構成されている。お盆帰りの田舎までの道中、列車の窓から買った駅弁、お茶、なぜか凍ったミカン。神社の縁日で買って、吸ったはっかなど。紙芝居を見ながら食べた、せんべいなど、今でも眼に浮かぶ。
しかしどうも自分には感性がないらしい。細かな描写から来る景色に、ある種の感慨を覚えることはあるが、それでと問う自分がいる。本を読むことで、何かを判りたい、自分が気がつかないことを、感じるようになりたいという、願望には応えてもらえない。
読むことに意味を見出す必要は無い、感じればいいのだろう。しかし、何か物足りないと思う自分を意識した読書であった。
久しぶりに見る言葉、卓袱台(ちゃぶだい)、三和土(たたき)、新高ドロップ、蝙蝠傘(こうもりがさ)
by toraneco
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