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2019年8月25日日曜日

「絶滅の人類史」 更科功

令和元年6月5日(水)
by Eiji.K

 人類史について最近のTV放映でNHKスペシャル人類誕生1~3部(MC 高橋一生)や人類誕生・未来編1~3部が放映されていたので、この本のダイジェクトに本に書かれていない知見もTVから追加した。

◇ 大型類人猿の系譜
(1500万年前)
  共通祖先→オランウータン系統 → → → → → → → → 
        ↓
      ゴリラ系統 → → → → → → → →
        ↓(700万年前)   チンパンジー系統 → →
         → → → →        ↓
                           →ボノボ → →

                   人類系統 → →

◇ 人類の誕生は700万年前

◇ 現在の我々の人類(ホモ・サピエンス)は30万年前に誕生した。
ゴリラ系統から発生した人類系統の誕生からホモ・サピエンスまでに至る期間には20種類の人類の種類が誕生している。そして、ホモ・サピエンス以外の人類は全て絶滅している。

◇ 人類は4足の共通祖先から進化し、二足歩行になったが、ゴリラやチンパンジーのナックル歩行(指の背を地面につけて歩行する)から進化したのではない。
→ゴリラやチンパンジーは独自の進化でナックル歩行になった。
⇒人類はチンパンジーから進化したのではない。

◇ 700万年前にゴリラ系統からチンパンジー系統と人類系統に分かれたが、人類系  
  統の特徴は以下の2点
  〇 直立二足歩行…人類以外に直立二足歩行する動物はいない。
    (欠点)1.四足より走るのが遅いこと、草原で目立つこと
→肉食獣に食べられてしまう。
         ⇒木のある所に逃げるしかない。疎林で進化した。
   ・最初の人類(サヘラントロプス・チャデンシス~アルディ         
       ピテクス・ラミダス)人類系統ができてから3世代まで、260万年たっても脳の大きさは350㏄とチンパンジーと変わらない大きさ。身長120㎝程度、森林の食物を主にした雑食性で木の上に枝や葉でベッドを作り寝ていた。
        2.難産になる。
         →脳が大きくなった250万年前
  〇 犬歯の縮小

◇ 牙=犬歯が人類で縮小した理由
  ・社会形態 ゴリラ=一夫多妻の群れ
        ボノボ・チンパンジー=多夫多妻の群れ
  ・オスと発情したメスの割合
        ボノボ:2~3頭のオス:メス1頭
        チンパンジー:5~10頭のオス:メス1頭
  ・人類以外の類人猿には発情期がある。
  ◎ メスを争うオス同士の戦いには牙が必要であるが、人類にはメスの発情期はなく、オスとメスの割合は1:1の一夫一婦制となったので戦いに必要な牙は縮小されていった。…オス同士の争いがなく、子育てに専念できる。

◇ 集団生活の中で一夫一婦制のペアを作ったのは人類が初めて。

◇ オスがメスや子のために食物を手で運ぶ(食料運搬仮設)が直立二足歩行を進化させた理由

◇ アウストラロピテクス 420万年~120万年前
  アフリカの乾燥化→森林から草原へ進出  
足の親指が真っすぐで、足に土踏まずがある。
ただし、直立二足歩行は走るのが遅く、肉食獣に食べられてしまうことは避けられなかった。

◇ 人類の対応策
  食べられてもたくさんの子どもを産むことで絶滅しない方法をとった。
  チンパンジーの出産期間は5~7年周期で、生涯を通じて6匹程度を育てるが、母親が全て一人で育てる。
  人類の出産期間は1年で子育ては周りの人たちで育てる。…人類は仲間を持つ集団生活で生き延びてきた。
 ◎ 進化では「子供を多く残した生物が生き残る。」

◇ 初期人類(サヘラントロプス・オロリン・アルディピテクス等)のアルディピテクスは440万年前~420万年前に絶滅(気候変動で森林の乾燥化等)し、アウストラロピテクスが出現した。

◇  頑丈型猿人→あごの強い頑丈型猿人は絶滅
  アウストラロピテクス 華奢型猿人
ホモ属 約250万年前

◇ 直立二足歩行の利点
  長距離を走ることができる。 草原で動物の死骸を早く見つけ取得することができ、手でメスや子供に持って帰ることができる。(家族制度の発展)
  (ゴリラやチンパンジーにマラソンはできない。)
  ホモ・エレクトゥスの足の指は短くなり、尻の筋肉は大きくなった。また、走るのに重要な三半規管が大きくなった。

◇ 人類の体毛が無くなった理由 
  走るためには汗を出し体温を下げることが必要で、ホモ・エレクトゥスが現れた約190万年前ごろに人類は体毛を失った。

◇ 石器→動物の死骸や骨髄を食べるのに必要。
  打製石器(オルドワン石器)  約260万年前  
  磨製石器(アシューリアン石器)

◇ 人類誕生の700万年前から約450万年間、人類の脳は大きくならなかった。
  人類は石器を使い始めてから脳が大きくなった。
  脳は体全体のエネルギーの20~25%を消費する効率の悪い機関である。
  カロリーの高い食物は肉である。人類は石器を作るようになったので肉を食べられるようになり、脳は大きくなった。

◇ 脳の大きさ
  現代人:1350CC
  ホモ・ハイデルベルゲンシス:1250CC
  ネアンデルタール人:1550CC
  ※ 脳の大きさと知能の大きさはあまり関係がない。

◇ 肉食獣であるライオンは肉を食べるために牙を大きくしたが、エネルギーを大きく使う脳を大きくしなかった。

◇ 肉食で脳が大きくなる理由
  ➀ 肉はカロリーが高く脳のエネルギーになる。
  ② 消化しやすい食べ物である。
    植物の栄養価は低いのでゴリラやチンパンジーの活動時間は半分以上が食べたり消化している時間になる。
    食事や消化に時間がかからなくなれば暇な時間ができる。
    ライオンがゴロゴロしているのは暇だからである。
    知的活動は暇が必要  腸も短くなり、ウエストも細くなる。

◇ 脳が大きくなると他人に対する思いやりの心が生じる。人類は心を持つ生物に進化した。

◇ 10万年前に生存していた人類
  ホモ・サピエンス ネアンデルタール人 ホモ・フロレシエンスは共存していた。
  約4万年前にネアンデルタール人が絶滅すると私たちは一人ぼっちとなった。

◇ 出アフリカ
  約180万年前にホモ・エレクトゥス類がアフリカからユーラシアに出た。
  
◇ 人類の2世代目になるアウストラロピテクス・ガルヒの脳容積は約450ccでチンパンジーやボノボと変わらないが、チンパンジーやボノボは石器を作れない。

◇ 人類は磨製石器を作るようになって、常習的に肉食をすることができるようになった。

◇ 火の使用理由
  ➀ 肉を焼いて消化しやすくする。
  ② 肉食獣から身を守る。
  ③ 体を温める。

◇ ホモ・ハイデルベルゲンシスの出現
  約70万年前~20万年前  脳容量1100cc~1400cc 
  槍の発見…狩りをしていた。

◇ 脳が大きくなった理由
  ① 肉食を始めたこと。
  ② 群れを作るようになったこと。(複雑な社会関係を処理する。)

◇ ネアンデルタール人…約43万年前~4万年前まで生存した最も近縁な生物
大きな動物を槍などで狩っていた。
            脳容量1550cc(ホモ・サピエンスより大きい。)  
被服・火を使用していた。

◇ ホモ・ハイデルベルゲンシスの一部がアフリカからヨーロッパに渡り、ネアンデルタール人となった。ホモエレクトゥスの一部はアジアに行き、北京原人やジャワ原人となった。

◇ アフリカの残った集団からホモ・サピエンスが進化した。

◇ 現在のホモ・サピエンスの起源は約30万年前

◇ 19万年前の気候変動(氷期)でホモ・サピエンスは絶滅の危機…1万人まで減
  少
  南アフリカの海岸まで移住し、貝(ムール貝)を食し生き延びることができた。
  人類には海産物を食べる好奇心があった。また、ホモ・サピエンスの遺伝子の多様性が少ないのはこの時の影響が大きい。

◇ ホモ・サピエンスの一部がアフリカからヨーロッパに進出し、4万3000年前に
  ヨーロッパを占拠してしまう。…ネアンデルタール人は4万年前に絶滅する。

◇ ネアンデルタール人が絶滅した理由(寒さとホモ・サピエンスの進出による。)
ホモ・サピエンス=アトラトル(投槍器)
  ネアンデルタール人=突き槍、投げ槍
  ・狩猟技術が劣り、投槍器などの文化を受け入れる社会的基盤が弱かった。
  ・がっしりとした体格で基礎代謝量はホモ・サピエンスの1.2倍で食糧確保が大    
   変
  ・寒冷な気候にホモ・サピエンスは骨の針で毛皮の服を作っていた。
  ・ホモ・サピエンスは雑食能力が高かった。
  ・ネアンデルタール人は10人程度の小集団活動であったが、ホモ・サピエンスは数百人規模の社会集団となり、色々な発明や情報を共有でき、人の連携ができる集団となった。…宗教の始まり

◇ ネアンデルタール人の脳:1550cc
1万年前のホモ・サピエンスの脳:1450cc
現代人の脳:1350cc
文字の発明で脳で記憶していなくてもよくなった、数学の論理で思考が節約できるようになった等なのかは不明
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスにはない自然への感情等未知のものを脳に持っていたかもしれない。

◇ ホモ・フロレシエンシスは約5万年前に絶滅したが、ホモ・サピエンスのオーストラリア進出と同じ時期であり、ホモ・サピエンスの影響が大きいと考えられる。

◇ ホモ・サピエンスは他の人類と交雑していた。(5万5千年前から)
  現代人のDNAにはネアンデルタール人のDNAが2%程度残っている。

◇ ホモ・サピエンスはたくさんの子供を産み、育てていくと、結果として他の生物はその生息地を奪われ、絶滅していく。地球は有限の場所なのだから。
  現代でも人類は絶滅危惧種を絶滅に追いやっている。

◇ ホモ・サピエンスが繁栄した理由として、道具の発明が大きい。
  ・北極圏に進出できたのは寒さを防ぐ防寒具を作る針を発明したこと。
  ・全世界に進出するためには海洋を渡る船が必要になるが、斧を作り、大木をくり抜く丸木船を作ることができたこと。

◇ ホモ・サピエンスはアフリカからヨーロッパに進出し、世界に広がっていった
と考えられていたが、沖縄にヨーロッパよりも2000年も前にホモ・サピエンが
進出していた遺跡が発見され(白保人)、従来の歴史が書き換えられようとして
いる。

<感想>

◎ 人類の歴史から見て、ホモ・サピエンスはいずれ出現するだろう進化したNEW人類にとって代わられるのだろう。ホモ・サピエンスだけが将来的にもそのまま反映し続けることはあり得ない。(数十万年~数百万年後)

◎ 生物一般(生物数は3000万~5000万種存在する。)は自らの種を将来に継続・発展させるために生きているといえる。

◎ そのため、“食うために生きている”ことが現実の生きざまである。

◎ 現代人は科学技術の発展により食糧確保が可能となった。(飽食の時代)
  “生きるために食う”時代となっている。 餓死を経験しなくてよい時代は初めてである。

◎ 人類は他の生物に凌駕するため、戦術としてその数を増やしてきた。現在、生物の頂点に立ち、その数を増やす必要性はなくなったが、その数を異常に増大させている。…資料参照

◎ 人類は他の生物を絶滅させながら生きながらえているともいえる。

◎ 近年の世界の潮流である高齢化、少子化、未婚率・離婚率の増加、自然環境の悪化等からホモ・サピエンスは衰退の方向に加速度的に移行しているのではないか。

◎ 新しい人類が700万年の間に次々の出現してきたが、その滅亡理由としてネアンデルタール人の例等は種々に研究されているが、新たな人類が出現した契機やその必然性の理由は何なのかは不明となっている。

◎ ホモ・サピエンスの次の人類はすでに生まれているかもしれないと想像できる。

◎ 今後の人類の存在理由は何か。


以上

2019年8月21日水曜日

「コンビニ人間」  村田紗耶香

令和1年8月21日(水)
by Eiji.K

◇ 最近の芥川賞はあまり面白くなく、短編小説はつまらない印象があるが、この小説は不思議な世界を描いており、一気に読むことができ、本の面白さを感じた。

◇ コンビニ店員は全ての行動がマニュアル化されているが、それに従って行動することは一種の快感を得ることになるのだろうか。テレビゲームにはまると一日中やり通す若い人がいるが、没頭する楽しさと奥深さはあるのだろうと思う。

◇ この小説の魅力は従来の世間常識を超越した異次元の世界を垣間見せているのではと思わせるところがあり、読後感としてこういうコンビニ店員の世界、新しい感性があるのだということを知らされたということではないか。例として、食事することは栄養バランス、旬の素材摂取、いかに美味しく食べるかなどを考慮することが今までの常識であるが、小説では食事は単に生命維持の餌としかとらえていない。

◇ 一方で、芸術家の世界では異次元に立つことはむしろ歓迎されることであるが、コンビニという無機質な管理された世界にこのような店員が現れたことがこの小説のミソなのではないか。

◇ 白羽さんのいう「縄文時代」の社会の掟は、現代に引き継がれ「世間常識」として生きながらえているが、現代の社会基盤は少子高齢化、自然環境変化等で大きく変容してくると、それに合わせて「世間常識」も変わらざるを得なくなっている。そうした時代の流れを小説を通して感じさせられるのが良いところだ。

◇ 日本で100万部を突破し、世界でも翻訳され売れているということは、この小説で提起している時代の流れが世界でも共通項となっていることを示している。

以上

2019年4月3日水曜日

「洟をたらした神」  吉野せい

平成31年4月3日(水)
by Eiji.K

◇ 農業開拓民として生き抜いた作者の歴史をたどる内容であるので、文体が重く、一気に読むことができず読破するに時間がかかった。

◇ 作者が最後の方で述べているが、農業が始まった時代から昭和の40年代頃までの開拓民の生活はあまり変わっていないのではと思われ、その意味でここに書かれている生活・感情・自然との関係等は貴重な歴史遺産であると思う。

◇ 各編の感想

● 春
  めんどりが11羽のひよこを一人で育て、作者の家に帰ってくるという話は家畜に対する深い愛情が感じられ、感動的である。
● かなしいやつ
  北海道開拓で疲れ果て、なくなった友人猪狩満直の話
● 洟をたらした神
  おもちゃのヨーヨーを買い与えることができない親の立場から、6歳の息子がヨーヨーを自ら作ってしまった驚きを書いているが、この話が表題になっている理由が不明。
● 梨花
  文章を読みながら目頭が熱くなった経験はあまりない。それだけこの文章は強烈で鮮烈である。この人の文章能力はすごいと感じた。
● ダムのかげ
  健康や命と引き換えの悲惨な炭鉱夫の話。
● 赭い畑
  夫が特高に連れていかれ、残された子どもたちと産後の作者がこの場所で生きていくしかないと思う様には開拓民としての逞しさを感じる。
● 公定価格
  戦前の闇取引は庶民生活の日常であったが、それを国家権力でいじめる話。
● いもどろぼう
  農作物泥棒は現代の社会現象ではなく、昔からあったという話。
● 麦と松のツリーと
  敗戦前後の外国人捕虜とのエピソード
● 鉛の旅
  入隊した息子に会いに行く母親の切なさが心を打つ。途中出会った出兵する息子を抱きしめて嗚咽する母親の姿に対して作者は、“とりすました仮面をかぶって人前をとりつくろう自分たちの嘘っぱちな世間体のみえをかなぐり捨てているむきだしたままのこの親子の別れの一幕に頭を下げろよ。一言の口出しも許さぬぶち割ったほんものの人間の極限の悲しみの姿がこれではないのかー”と述べている作者の鋭さ、感受性の豊かさに共鳴する。
● 水石山
  夫混沌とはどんな人物であったのか知りたくなるとともに二人の夫婦生活の心の機微表現がうまいと感じる。
● 夢
  夫混沌と山村暮鳥との関係はこの本ではよくわからないが、「夢」の中の文章で、“私の日頃の孤独冷酷な生き方は、周囲を凍らせ苦しませ、涙を与え憤らせていただろうか。つらいが決して間違いではない。”と言っていることが印象的である。
● 凍ばれる
  廃村の老人のわびしさを述べた暗い話
● 信といえるなら
  混沌とその友人たちの人間関係の経過が分からないが、作者の言う“凄まじい信頼”に羨ましさを感じる。特に、現代の時代にはこのような人間同士の深いつながりというものは生じにくい社会になっているのではと思う。
  また、混沌の詩の表現は少し難解であるが、吉野せいの文相表現にも通じるものがあり、影響を受けたのではと思う。
● 老いて
  混沌のこの詩を読むと夫婦関係はどんなものだったのかと思うが、吉野せいの我の強さがなければ厳しい開墾生活はできなかったのだろうと感じられる。
● 私は百姓女
  自然を相手にした農業を一生やり遂げた達成感は、サラリーマンとして組織で動いてきた達成感よりより充実するものがあるだろうということは理解できる。


以上

2019年2月6日水曜日

「スクラップ・アンド・ビルド 」 羽田圭介

2019/2/6
By Eiji.K

◇ 介護や若者の就職問題など現代の現実的な社会状況を題材にしているという意味では評価できるが、短編に近い分量によるためか、結局、作者は何を言いたいのかがよくわからず、読後感が軽い感じがする。

◇ この小説のその後(健斗の就職してからの生活、祖父と母の介護状況、亜美との関係等)がどうなっているかが書かれていると小説としての深みが増すのではと思う。

◇ 祖父の尊厳死をかなえる方法として「被介護者の動きを奪う。」方式(あらゆる被介護者の行動を介護の名目でさせず、体力・気力を衰えさせる。)は正しいやり方である。

◇ 介護体験は少ないが、介護で大変なのは食事・入浴・排泄である。
 特に排泄ができなくなると自分の尊厳が喪失されるらしく、当方の母の場合は、“人間失格である。子供になってしまった。”とよく言っていた。
 小説の中では書かれていないので祖父の介護状態はそんなに悪くはないのかとも思う。

◇ 気になったフレーズ
 ・「昼も夜もベッドに横たわり、白い天井や壁を見ているだけで、良くなりはしない身体とともに耐え続けた先に死が待っているだけなら、早めに死にたくもなるのではないか。」
 ・「人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。」
 ・「どのように死を迎えるべきかを自分で考えなければならなくなってしまった。ほとんどの人は昼も夜もない地獄の終わりをただじっと待つしかない。」
 ・「苦しんでいる老人に対し、“もっと生きて苦しめ”とうながすような体制派の言葉」
 ◎ 自分もこのような状況にならないためには“ぴんぴんころり”が理想となるのかとも思う。

2018年12月5日水曜日

「いっぽん桜」 山本一力

2018/12/5
By Eiji.K

[いっぽん桜]
◇ 話の題材はサラリーマン管理職の早期退職時の状況と同じで、江戸時代と現代での相違はないことが連想される。
◇ 特に長く勤め上げた管理職であった人が感じる定年後の激変する生活環境の変化に戸惑い、うろたえる場面は300年たっても今も昔も同じであることが新鮮に感じる。
◇ また、サラリーマン社会における上司との対応場面や、競合企業との関係なども時代が変わっていても基本的に同一であることも共感できた。

[萩ゆれて]
◇ 作者は、兵庫が武士を捨てた理由として、父親のこともあるが、“城勤めの武家は、作法通り前例踏襲を重んじ、変化や精気とは無縁な生き方を強いられる。その結果、仲間を恐れ、妬み、時には追従笑いもする。”と書いている。
  役人の官僚主義は、奈良時代に中国から輸入された政治制度によるといわれているが、江戸時代に確立され、明治時代以降も継続されて現代にまで引き継がれている。一方の漁師は、海を相手の命懸けの仕事で、仲間を信じ、助け合いながら生活する営みであり、兵庫が選択する理由はよくわかる。

[そこに、すいかずら]
◇ 日本は地震、噴火、台風等の自然災害が多い国であるが、都市における大火も大変であったことがよくわかる。(寛永寺の根本中堂、常盤屋の2度の焼失等)
◇ こうした事象は日本人に諦観、諦め、無常観等の気質を培ってきたとともに、一方で繊細さ、奥ゆかしさ、思いやり等の美徳につながったのだろうと思う。
◇ 特に、ヨーロッパの何百年もつづく石造りの家に住む環境にある人たちとの風土の違いを感じる。
 
[芒種のあさがお]
◇ 嫁ぎ先と異なる生活環境で育ってきたおなつが、姑の仕打ちに戸惑うのは江戸時
代の家という社会制度の中では避けられないが、現代の個人を尊重する社会では家制度から家族単位になっているので問題にはなっていない。
◇ 今後、さらに個人主義が進むと結果的に離婚率を押し上げ、家族単位さえも維持することができるのだろうかと思う。
◇ 人口の急激な増加と経済の発展で人の依って立つ基盤が大きく変わっていくが、
  この先はどうなるのだろうか。

2018年7月4日水曜日

「すてきな詩をどうぞ」 川崎洋

2018/7/4
By Eiji.K

◇ 当方にとって、詩を読む力がなく、詩は理解不能の分野であったが、この本を読んでその理由の一端が分かったような気がする。

◇ 理由は次の3点である。
 <1点目>
  最後に出てくる井伏鱒二の「歳末閑居」の内容は、解説にあるとおり、この詩が書かれた時代背景、作者の心境、境遇等が分からないと詩に書かれた内容を理解することはできないことが分かる。言い換えれば、その詩を分かるためにはその作者(詩人)の考え方、思想、感情、生い立ち、状況等を把握する必要があり、もっと言えばその作者(詩人)の他の作品も読んでいないと正確な理解を得ることはできないと思われること。
 <2点目>
  読者は、その作品が書かれたその時、その場の作者の感情を感じ取ることが求められるが、それは同じ感情移入を求められるような感覚になり、むしろ反発を感じることにもなる。感情移入を強制されるような気分になること。(考えすぎか。?)
 <3点目>
  数行か数十行で何かを表現することの限界を感じること。
  俳句や短歌はもっと短いのでさらに難しいことを感じる。

◇ 読書会で昨年1月に読んだ「木を植えた人」(ジャン・ジオン)の寓話は、あのぐらいの量の散文であれば、中に入っていけるし、また、分野は違うが、宮崎駿のアニメ作品や一昨年の映画「君の名は」のような数時間の間、視覚でみるロマン作品等は感情移入が可能である。
しかしながら、詩を読むことは、上記に書いたようにその背景を理解することが必要であり、詩を読む技術を習得することは私にとって、かなり難しいと思われる。

2018年6月6日水曜日

「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子

2018/6/6
By Eiji.K

◇ 桃子さんの心境は、実際に体験したものでないと書けない、つまり若い人には書くことができないものだろうということを感じた。そういう意味で今後の高齢化時代に合致した現在の時代が要求している題材であり、広く世間に支持されるだろう小説である。

◇ 桃子さんは74才であり、一般的には人生の坂を駆け下りていく年齢であり、今後は「残りの人生」、「余分の生き残り」というネガティブなイメージがあるが、それを払しょくする精神的にタフで前向きな姿勢に圧倒され、ある種理想的な老人を描いていると思う。

◇ 桃子さんは作者の分身であり、作者の夫の死は悲しみだけではなく、そこに豊穣があると言っているがこのことが小説のテーマであり、作者の言いたいことだろうと思う。

◇ 気になった文章表現
 ・ 娘に初めて老いを感じた。自分の老いは散々見慣れている。だども娘の老いは見たくない。
 ・ 自分より大事な子供などいない。
 ・ 自分のような人間、容易に人と打ち解けられず孤立した人間が、それでも何とか前を向いていられるのは、自分の心を友とする、心の発見があるからである。
   →前回の五木寛之の「孤独のすすめ」で“年を重ねるごとに孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知る。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半のすごく充実した生き方のひとつだと思うのです。”⇒老後の孤独をどう楽しむかが共通のポイントとなっている。
 ・ でいじなのは愛よりも自由だ。自立だ。いいかげん愛に膝まづくのは止めねばわがね。
   一に自由。三、四がなくて五に愛だ。それくらいのもんだ。
 ・ おだやかで従順な自分は着込んで慣れた鎧兜、その下に凶暴な獣を一匹飼っていた。猛々しいものを猛々しいままで認めてやれるなら、老いるという境地もそんなに悪くない。
 ・ 周造が亡くなってからの数年こそ自分が一番輝いていた時ではなかったのかと桃子さんは思う。平板な桃子さんの人生で一番つらく、悲しかったあのときが一番強く濃く色彩をなしている。
 ・ 子供を育て上げたし、亭主も見送ったし、もう桃子さんが世間から必要とされる役割はすべて終えた。これからは桃子さんの考える桃子さんのしきたりでいい。おらはおらに従う。
 ・ いつか桃子さんは人の期待を生きるようになっていた。結果としてこうあるべき、という外枠に寸分も違わずに生きてしまったような気がする。
 ・ 周造は惚れぬいた男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きで見たかったのす。思い通りに我の力で生きで見たがった。それがおらだ。
 ・ まだ戦える。おらはこれがらの人だ。まだ、終わっていない。

2018年4月4日水曜日

「孤独のすすめ 」 五木寛之

2018/4/4
By Eiji.K

◇ 現在30万部超のベストセラーとなっている本である。

◇ 平易な文章で段落も短く、読みやすい。各フレーズに言わんとすることが様々なコンパクトとして出てくるが、結局、何を伝えたいのかが分かりにくい印象がある。

◇ そこで、当方が気になったフレーズを各章単位に列挙してみた。

はじめに 

〇 年を重ねるごとに孤独に強くなり、孤独のすばらしさを知る。孤独を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半のすごく充実した生き方のひとつだと思うのです。
  ※ 孤独を楽しむ生き方というのは、当方には理解しにくい。
〇 人生後半の過ごし方をメディアは、①ボランティア等他人と積極的なコミュニケーションをとる。②レクレーションを取り入れる。③運動する。④好奇心を持つ。といっているが、それができない人には残酷なことである。
→思い出を咀嚼したほうがよほどよい。つきせぬ喜びに満ちた生き生きとした時間である。
※ メディアの言っていることは理解でき、思い出を咀嚼するほうがよほどよいとは思わない。

第1章「老い」とは何ですか

〇 現代は、「低成長・高成塾」の時代である。
〇 何のために生きるのか。→「この世界がどう変わっていくのか見ていたい。」
  ※ 長寿を目指す理由として合点できる。
〇 今後の日本で起こる事は、「大量自然死の時代」になる。
  →必要とされるのは「死の哲学」
〇 「人生百年時代」に必要なこと。→「老人になっても他人に頼らずに生きる。」
   ・経済的な基盤を自力で築く
   ・健康
   ・精神の自立→死生観の確立、宗教の力
  ※ 宗教の力がどういうものか理解できない。
〇 高齢者世代は特権階級となっているような気がする。
  →若い世代等に高齢者が受け入れられるために
   ・「自立すること」…収入のある人は年金の返上などで社会に還元する。
   ・「選挙権の委譲」…政治を若い世代に全面的に任せる。
  ※ 年金の返上は現実的ではない。無理である。一定年齢以上の選挙権の委譲は賛成。
〇 将来の現実が酷く、道が険しかろうと、また、つまらなかろうとそうした運命と闘って生きていくのではなく、大きな運命を受容することは決して敗北ではない。
  →迷っている状態そのものが、生きていること。
〇 自然から切り離されてしまった現在は、人から「浮いてしまう」とか嫌われるといったことを過剰に恐れて暮らしている。
  →鳥や樹木や多くの自然と共生してきた日本・東洋は、昔から、たとえ人間社会から疎外されても今ほどの孤独感はなかったのではないか。
  ※ 日本人の自然観は歴史的に優れており、過去を咀嚼するよりは、自然とコミットすべき方法がたくさんあり、その点を強調してもよいのではと思う。
  

第2章 「下山」の醍醐味

〇 肉体の衰えを直視し、受け入れることが必要。
〇 50歳から75歳の「林住期」が人生の黄金期である。
  ※ 現在黄金期にいるという感じはある。

第3章 老人と回復力

〇 世の中に漂う「嫌老感」の原因は人口問題。
  ・高度成長期…10%以下の高齢化率
  ・現在…25% 将来は40%になる。
〇 高齢者数の増大、弱者ではない元気な老人が社会保障制度の恩恵をフルに享受する。
〇 高齢者世帯がお金を貯めこみ使わないから景気が良くならない。
  年金者が海外旅行や高級車を買えるのはおかしい。
→高齢者制度を支えているのは勤労者世代…結婚すら経済的にできにくくなっている。
※ 現在、嫌老感を感じないが、将来には出てくることは考えられるが、現行の社会保障制度は国の政策であり、批判は政治に向けられるのではないか。

第4章 「世代」から「階級」へ

〇 高齢者と下の世代は、世代間の対立から一種の「階級闘争」に発展するのでは。
〇 我が国の歴史上初めての「老人階級」が立ち現れた。
〇 対応策
 ・年金などで生活基盤を支えながらボランティアなど社会に役立つ仕事に励む。
 ・同じ老人階級の中で富むものと貧しい者間でパイを分け合う仕組みを作る。
  ※ 仕組みとして考えるのなら、老人が安心して過ごせ、貯金しなくてもよい社会制度ができれば若い世代も理解するのではないか。
〇 世の中の不安・不満の感情が憎悪となり「運動」として発展する可能性がある。(嫌老感)
  ※ 世の中の不安・不満は「世界の富の80%を1%の富裕層が独占している」という格差の拡大について向けられるのではないか。
〇 多神教的な思想こそ、日本が今後世界に寄与できる思想である。

第5章 なぜ不安になるのか

〇 現代人が漠然と不安を感じるのは、「今の日本には、確かな希望が見いだせない」という現実に尽きる。
〇 現実の不安を直視せず、「自分で考えたところで、仕方のないことだ」と諦めている状態
  →「心配停止」状態にある。

第6章 まず「気づく」こと

〇 「嫌老感」という社会的なサインに気づくことが必要。
〇 「日本の産業意識の転換」が必要で日本の産業・文化・国のあり方そのものを老人中心に考えてみる。また、高齢者も国力アップの推進力となってもらうことで日本経済を再生させる。
〇 完璧な補聴器、画期的な老眼矯正、入れ歯製作などの技術や文化を世界市場で売り出す新たな高齢者産業の創設
  ※ 上記製品化ができないのは、若い世代だけが研究している結果で老人の指導があればできるといっているが、疑問。
〇 嫌老社会から賢老社会へ
 ・「よりよい生き方」の最たるものは「社会貢献」のはず。働くことに生きがいを感じられるなら年齢制限なしにそうすべき。
 ・できるだけ社会保障の世話にならない覚悟で生きていく。
 ・百歳過ぎたら選挙権は下の世代に譲り、政は彼らに任せる。
〇 以上の自立した老人が生き生きと暮らす世の中を「賢老社会」という。
  老人として「敬われる」前に一個の自立した人間として「評価」される存在になりたい。
  ※ 大賛成




2018年1月17日水曜日

「アイネクライネナハトムジーク 」 伊坂 幸太郎

2018/1/17
By Eiji.K

◇ 平成15年にこの作家の「オーデュボンの祈り」を読んだときの私の読書感想文に「あまりのつまならさに途中で読むことを止めた」とある。
本を読むことを途中で止めることはほとんどなく、この作家を読む対象作家から外してきたという過去の経過がある。しかしながら、今回、読書会の推薦本であったので読まざるを得なく読んだ。

◇ この作家は過去に本屋大賞、山本周五郎賞等受賞歴も多く、現代の人気作家として知られているが、当方の印象としてライトノベルという感じがする。
  (ライトノベルの定義は、10代から20代の読者を想定した、娯楽性の高い小説。会話文を多用するなどして、気軽に読める内容のもの。)
  
◇ 当方にとって、読書する喜びや感動のようなものが余り感じられず、テレビの表層的な軽いドラマを見ているような印象である。

◇ 本の表題に訳の分からないカタカナをつけることも印象が良くない。

◇ 上記本屋大賞を受賞した「ゴールデンスランバー」の映画(主演:堺雅人)を平成22年に見ているが、その時の映画感想文も“原作が雑な内容であり、いい加減すぎる。”とあった。

◇ この短編集は各編の登場人物が何らかのつながりがある構成になっているが、その中でも「メイクアップ」という作品は高校時代にいじめられていた窪田結衣が加害者としていじめていた小久保亜季に出会い、立場がクライアントとプレゼン業者ということで、窪田結衣が高校時代の復讐を実行できる状況にあり、どのような展開になるのか、結衣の同僚の佳織と会話している場面は面白かった。


以上


2017年12月6日水曜日

「猫と庄造と二人のをんな 」 谷崎潤一郎

2017/12/6
By Takako.Y

・この物語は、少し賢い一匹の西洋種の猫をめぐって愚かな人間たちが繰り広げる喜劇と
いえるだろう。

・解説で磯田光一が指摘しているように、題名の配列頓序が示すのは、猫がおんなよりも
重要な位置にあるということ。 しかも猫は漢字、おんなはひらがな。庄造にとっては女の方が猫よりも軽いということだろう。

・思惑があって猫をもらうということになるが、晶子はそんなことよりも自分の将来をも
っとよく考えて、ぐうたらで情けない元夫にさっさと見切りをつけて別の男を探した方が
いいに決まっている。
・しかし、そうしないことによってこの物語が始まる。冒頭部の品子から福子への手紙は
とてもおもしろく、つい物語にひきこまれてしまう。

・庄造の猫の愛し方は異常だ。ことに二杯酢の小鯵を猫に与えるところの描写はすばらし
く、その光景を彷彿とさせる。また猫に対する人間たちの心の勤きもよく描かれている。
・福子のわがままで奔放な性格では結婚生活が長続きしないと品子が考えるのも無理はな
い。福子はあきれるほど愚かな女として描かれている。
・福子の財産が目当てで嫁にした母親も愚かだ。この母にしてこの息子ありか。

・登場する人間たちは愚かなところが多く、むしろ猫の方がしたたかに生きているのは滑
稽だ。

2017年11月1日水曜日

「料理通異聞」  松井今朝子

2017年11月1日

by Etsuko.S
☆あらすじ
浅草新鳥越町にある精進料理屋福田屋の跡取り息子善四郎は、元服後、御金御用商水野家に二年の間、奉公に出された。そこで見聞きしたこと、教わったこと、出会った人々が、後の人生に面白く関わってくる。
出生に秘密のある善四郎は、料理屋の方に興味があり、福田屋に戻ってからもさまざまに料理の工夫をしてきた。そうして大きくなった福田屋は店の名を八百善とし、文人墨客が集うサロンの様子を呈し、江戸一の料理屋と認められるようになる。
当時、さまざまな料理本が出版されていたが、いわゆるプロの料理人が手がけた料理本はなく、善四郎が書いた「江戸流行料理通」は、八百善における四季折々の献立とレシピ、著名な江戸文化人が序文や挿絵を寄せた料理本で、たちまち江戸市中の評判となった。

☆感想
三百年続く日本料理の料亭「八百善」の創始者ともいえる四代目善四郎の生涯を描いた作品。青年期より、いろんなことに興味を示し追及していく性格や、おせっかいとも思われる世話焼き、これらの性分が単なる料理屋の主人というだけにとどまらず、各方面の人物とも交流が生まれる要素になったようだ。
彼が書いた「江戸流行料理通」や他にもいろいろと残された文献によって、当時の料理や饗応の献立がわかり、興味深い。その時代、精進料理専門の店があったというのも面白く、雁の肉に似せたというがんもどきなどだけではなく、お刺身もお魚以外のもので作っていたとは知らなかった。
作者はあとがきで、「料理は人間が想像力を駆使して生み出すアートの一種であり、人類史上最大最良の発明といえる」と述べているが、古来、日本人は素材を単一の食品として食するのみではなく、さまざまに工夫して幾種類もの料理法を生み出したことにより、味・種類とも日本料理は世界一といわれるようになったのではないだろうか。
また、十八世紀後半の文化文政の時代には多くの文化人(四方赤良=酒井抱一、大田蜀山人、亀田鵬斎、蔦屋重三郎、山東京伝、渡辺崋山、等々)が現れ、八百善はそうした人々の会食の場、つまりサロンとしての役目も果たしていたようだ。いつの世も、会食や芸術は交流の手立てとなっている。
史実に基づいた時代小説は、歴史の背景、当時の地理や日常会話など、時代考証をきちんと調べなくてはならない大変に面倒な作業だと思われるが、酒井雅楽頭舎弟、後の酒井抱一や太田蜀山人らとの出会いの場面など、善四郎およびそれらの人々の性格を踏まえて描けていて、後年の描写にも一貫したものがあり、人間の面白みが伝わる。

鎌倉明王院の中にあるという八百善では、十代目の指導により当時の料理を作って戴くコースがあるという。器も当時の物を使っているとか。大変興味をそそられる。

            
by Eiji.K
◇ 料理屋、食堂、水商売というような業界については全く知り合いがおらず、どのような世界であるのか知りたいと思っていたところなので興味深く読むことができた。

◇ 特に和食は食材の新鮮さが命であるといわれており、冷蔵庫のない江戸時代ではどのように保存し、また、ほかの料理に適用するのかが知りたかったが、そのようなことが書かれていなかったのが不満である。

◇ いかに良い材料を市場から仕入れても客が来なければ料理できないので、その辺の塩梅をどうするかは現代でも同じ課題であるが、よくわからなかった。

◇ 善四郎と冨吉との関係で「心の底に冷やっこいもんを抱えた男はすぐにわかりますのさ。それに気づくと女は男をほおっておけなくなるんですよ」というくだりがあるが、「男の冷やっこさ」とはどういうものなのか不明である。

◇ 絵画や歌などは後世にも残ることができるが、料理は口に入れば消えてしまうものである。そのようなはかなさを日本人は好むものであり、桜の散り際、花火と同じく日本料理が見直されている理由だろう。

◇ 江戸一の料理屋となったことについて太田南畝は、「お節介、結構。若いうちは他人のお節介が面倒な気もするが、年を取ればやはり人の親切が身に沁みるもんだ。」「見返りを求めぬ人の親切は尊い。」とあるが、今でいう相手のことを思った「おもてなし」の心が日本人の美徳として称賛されてきた結果なのだろうと思う。

◇ あとがきに「料理は人間が想像力を駆使して生みだす紛れもないアートの一種であり、人類史上最大最良の発明といえるのではないでしょうか。」とあるが、少し言い過ぎではないかと個人的には思う。

◇ 八百善は現代まで継続しており、鎌倉で10代目の善四郎が鎌倉十二所にある五大堂明王院境内にて、ほぼ10年ぶりに料理屋としての店舗を出している、とのことなので江戸料理とはどのようなものなのか高そうだが行ってみたい気がする。(昼ランチ3000円、要予約)

以上

2017年10月4日水曜日

「望郷」   湊かなえ

平成29年10月4日(水)
by Eiji.K

〇 みかんの花
 ・姉が島から出て行って一度も戻らない理由が、母親の殺人を姉が隠ぺいするためであったということが最後に分かるという衝撃的な内容でプロットがよくできている。

〇 海の星
 ・人生における「真実」を相手に伝えることができず、墓場まで持っていくことというのは現実的にはよくあることなのだろうが、当方にはとても我慢できずストレスになってしまうと思う。

〇 夢の国
 ・デズニーランドはいつでも行けるところであり、どちらかというと子ども用遊園地で待ち時間があることがネックとなっている場所である。
 ・地方の人は夢の国と思っているのだろうかと思うが感覚に違いを感じる。

〇 雲の糸
 ・母親が息子のために自殺するかもしれないので息子本人が自殺未遂するというプロットに無理がある。
 ・姉はしっかりとした考え方の持ち主なのでこの家族の安寧が期待できる。

〇 石の十字架
 ・小学校の時に親友となった相手(めぐみ)と再度、子供を連れて同じ島に引っ越してきたのに全く会話をしていないとのことがよく理解できない。

〇 光の航路
 ・死んだ父親が教師としていじめにあっている生徒を助けていた事実を知り、同じ教師となっている自分が、いじめ等から逃げていることを悟り、頑張ろうとしている話で共感できる。
 ・現代の教育現場でいじめは大きな問題となっているが、自分たちの時代にはいじめは経験していないのでその原因がよくわからない。
 ・この小説では喫煙をチクられた3年生がクラスのリーダーにいじめをやらせる設定になっているが、そうゆう経過があってもクラスでいじめが始まるものなのか、理解しがたい感じである。
以上

2017年8月9日水曜日

「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」 梯久美子

平成29年8月9日(水)
by Eiji.K

◇ 現代の著名人10人が終戦時に子供であった頃の体験記であり読みやすかった。

◇ 終戦という世の中の価値観や生活形態、社会基盤等が180度変わる中で多感な思春期をどう生き抜いてきたかはその後のその人の人生に大きく影響してきたことはよくわかるが、ひるがえって自分の両親のことを考えると、両親は終戦時26歳であり、当然影響は大きくあったのだろうが、どうだったのかを聞く機会はなかったし、むしろ話したくなかったように思えるのはおそらく当時の日本人の共通思考であったのだろう。
  したがって、著名人の当時の生の声を引き出しているこの作者のインタビュー力量はすごいと思う。

◇ 当方は昭和22年生まれの戦後世代であるが、子供のころの祭りには傷痍軍人が必ずおり、当時のバラックの存在や闇市の独特の雰囲気や匂いを多少経験しているが、すぐに高度成長期に入り、それらの記憶は全くの過去のものとなっており、直接の影響はなかったといえる。

◇ 戦時中における一般市民や子ども達の記録をこのような読み物として後世に残していくことは意義あるものであると思う。

◇ 10人の内、印象に残ったこと。
 〇 児玉清
   疎開先でいじめに会い、その孤独と戦うために一人で演じることを習得し、その後の役者人生に結びついたこと。
 〇 館野泉
   クラシック界であまり馴染みのなかった北欧に行ったのは、戦後の「なにをやってもいいんだ」という空気が影響していたこと。
 〇 梁石日
梁石日の話が一番面白かった。「血と骨」の番外編である。終戦時の在日朝鮮人の逞しさと強靭さは、この作家の最も得意とするところであり、貴重な体験であったこと。
 〇 福原義春
   戦争で死ぬのは人間だけではない。文化もまた殺されることを実体験したこと。
 〇 山田洋次
   厳しさや惨さがむき出しになる闇屋の旅の中で笑うことがどんなに人を元気づけてくれるかを知り、寅さんの見本となる人に出会ったこと。
 〇 倉本聰
   岡山への疎開体験が、「北の国から」の廃屋改装のネタになっていたことを知ったこと。
 〇 五木寛之
   「青春の門」に出てくる炭鉱の荒くれ男たちのことは、朝鮮から福岡に引き上げた時代に経験していることであったこと。

2017年7月6日木曜日

「応仁の乱」  呉座 勇一

平成29年7月5日(水)
by Eiji.K

◇ 30万部を超えるベストセラーの本であるので期待して読んだが、この本は読み物というよりは学術書そのものである。作者は11年間に及ぶ乱世の結果を歴史の後追いとして見るのではなく、当時の目線で、たくさんの登場人物の考え方で、様々な状況変化にどのように判断して行動に移していったかを臨場感をもって描いたつもりであると言っている。(興福寺の経覚や尋尊の日記には彼らの当時の感想が書かれている。)

◇ この設定は、乱の当時の社会・経済・政治情勢、登場人物の生い立ち・性格、庶民・武士の日常生活、生活・慣習・慣行等の基礎知識がある学者・研究者達には受け入れられる方式であると思うが、基礎知識がない者にとっては、登場人物の相関関係(血縁・地縁等)、近畿地方の地名場所、合従離散頻度等が余りにも複雑であり、読者は本を読みこなすことに精一杯となり、歴史の面白さを感じる前に歴史を読みとる難しさの方を感じてしまう結果になっているのではないか。

◇ 作者の上記設定は理解できるので、歴史事実の積み重ねからのみ提起するのではなく、もう少し状況や歴史を俯瞰した立場で書いてもらえたら爆発的なベストセラーになるのではと個人的には思う。

◇ 登場人物の漢字名前にはルビをつける回数をもっと増やしてもらわないと、読書習慣として読めない名前の人物には感情移入がしにくい。

◇ 室町幕府の応仁の乱は、日本歴史の転換点といわれているが、幕府・将軍の権威が失墜し、京都中心の幕政参加の政治秩序が武士の自国支配の秩序へと移り、貴族や寺院の支配する荘園制度(農民=農奴)が農民=足軽の下剋上・群雄割拠の時代に入り、茶道・華道や京文化が地方に広がる契機となったことなどはこの乱の結果としての歴史功績であったのだろう。

◇ 今年の4月に奈良にツアー旅行した時にガイドが奈良市内にある奈良ホテルは皇族が宿泊するホテルであるとの説明があり、記憶していたが、この本に経覚が鬼薗山(きおんやま)に城郭を築き移住したあり、鬼薗山は現在の奈良ホテルの敷地にある兵陵であるとの記述があった。現在住んでいる埼玉県の比企郡という地名は戦国時代の豪族の名前であることは長年住んでいることにより知る機会があったが、この本に出てくる地名、古戦場名、人名等は京都や奈良に住んでいれば歴史の重みをもっと身近に感じられるのだろうと思う。

◇ 次の戦国時代になると著名な歴史上の人物がたくさん出てきて、現代でも小説の題材として、また、様々な教訓・逸話として日常と結びついているが、この本に出てくる人物や出来事が身近に感じられないのは勢力争いに明け暮れ、魅力的な時代を先取りする英傑がいないせいなのだろうか。

       (朝日新聞記事より)





2017年6月15日木曜日

「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」  東田直樹

平成29年6月10日(水)
by Eiji.K

◇ 自分の身近に自閉症の人がいないため、この本に書かれていることを実感することが難しかったが、「解説にかえて」を読みこの本の価値(自閉症を患者サイドから発信し、その世界を知らせたこと。)を知ることができた。

◇ 特に、海外でこの本が30言語で翻訳されており、世界的に注目されている内容であるということが分かり、本の持つ力の大きさを知ることができた。

◇ この本の影響をさらに感じたのは、朝日新聞の天声人語でこの本のことが書かれていたことである。天声人語に書名が出るほどの本であることを知った。
  「セサミストリートのジュリアは自閉症である。他の人とちょっとやり方が違うと友達に説明される。米国では68人に1人の割合で自閉症児がいるのを番組が受け止めて登場したキャラクターとか。一人ひとりの違いを認める社会であって欲しいとの作り手の思いが伝わる。東田直樹さんの言葉も紹介し、違いを言い募るのではなく、違いを理解する、そんな心構えでありたいと記している。(天声人語から抜粋)」

◇ 自閉症の症状についてはほとんど知らなかったが、個々の症状内容・その理由が記されており、家族や周りの人たちの大変さを知ることができた。
  ・会話ができないこと。・いつも同じことを聞いてくること。
  ・何度言ってもわからないこと。・言葉の使い方が普通の人と違うこと。
  ・言葉が言えても言いたいことと違うことがあること。・自分の体を自分のものだと自覚したことがないこと。・自分の気持ちを相手に伝えることが大変であること。
  以上のような症状について自分で理解し、分かっているが対応できないでいることを具体的に知ることができ、苦悩・苦痛を抱えていることが分かった。

◇ また、上記の症状を抱えながらも非常に繊細なナイーブな感情を持っていることも知ることができた。
以上

by T.I
・ 発達障害が良く特集されていて、身近な問題となってきている。自分も軽度かもしれないが、発達障害かなと思うこともある。

・ 自閉症は、発達障害の1つとされているもので、この本を読んでその障害が少し理解できた。

・ 文章を書けるようになるまでの、手製の文字盤でコミュニケーション取れるようになるまでの、母親の思いの強さと根気に頭が下がります。

・ パソコンなど科学技術の進歩が、障害者を助けをする可能性を感じた。

・ 体を思うように使えなくて、しゃべれない、理解できないなど、その苦しさが感じられ、結果として自閉症になるのかと感じた。

【本人の文章から】
・ 「話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです。」

・ 「僕たちの記憶はジグソーパズルのような記憶なのです。」

・ 「僕たちは原始の感覚を残したまま生まれた人間だからです。」

・ 「僕たちだって成長したいのです。」
・
・ 「それは自分の好きなことではなくて、できることなのです。」

・ 「けれども、あきらめないで欲しいのです。僕たちと一緒に戦ってください。」






2017年4月5日水曜日

「沈黙」  遠藤周作

平成29年4月5日(水)
by Eiji.K

◇ 今までに宗教上の神というものについて考えたことがなかった。
私にとって、現代は“神は死んだ”(ニーチェ)という意識であり、無神論者であると自負しているので、この本に出てくる神の存在を信じ、危険を冒して布教するという伝道者の行為が理解の外にある。

◇ 神とか宗教とは何なのかという問題は、人類にとって根源的な問題であって、よくわからないが、絶対的なものを必要とする者が思考の中心に置いて、判断基準にしたいという概念をいうのではないかと思う。

◇ 今の時代の中で宗教が日常に出てくるのは葬儀の時である。死者を弔う儀式として、初七日・四十九日、三回忌等があるのはそうした儀式を実行することで哀しみを馴らしてくれている。それの意義を感じるから廃れないで継続しており、現在の宗教の存在意義となっていると思う。

◇ 以上のように言ってしまうと、この小説の感想が書けなくなるが、究極の選択を迫られた人がどのように対応・判断したのかということから考えれば、自分の思想信条を貫くよりもそれを曲げることによって他人を殺さない選択ができるならば、その選択の方が正しいといえるし、その過程を表現する作者の力量は十分感じる。

◇ 気になる表現
  井上筑前守:日本にキリスト教が根付かない理由として「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力を持っていない。」「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。」
  〇 日本人は偉人を神として祭ってきた歴史があるが、神が天地創造したという観念は少ない。(古事記にある〇〇命はあるが。)
 ・菅原道真…天満宮、天神   ・空海…真言宗 日蓮…日蓮宗
 ・秀吉…豊国神社       ・吉田松陰…松陰神社 東郷平八郎…東郷神社   

◇ この本に「ヴァリニャーノ」という歴史上の人物が出てくるが、先月読んだ辻邦生の本に『安土往還記』というのがあり、信長がたぐいまれな友情を覚えた人として書かれている。信長のような為政者が生き残っていれば日本でのキリスト教も様変わりしたのだろうと思われる。


by Etsuko.S

幼少期に洗礼を受け、熱心なクリスチャンだった作者の晩年の作品、「白い人、黄色い人」「深い河」の三部作のひとつである。
1587年に秀吉が禁教令をだしてから、キリスト教徒に対する厳しい迫害の事実があり、本著はその事実を、日本に宣教に来た実在の宣教師ロドリゴ(ジョゼッペ・キアラ)を主人公として小説にしている。
外国人である主人公が、日本語による述懐をするという設定を、違和感なく読みものにしているのは、作者の力量だと思う。内容の厳しさとは別に読みやすかった。
ただ、本書のテーマである「神の沈黙」を思う場面が何か所も出てくるたびに、私も戸惑う。キリスト教について、全く無知であるためか、下記のような疑問がわいた。

1、 日本人は何故キリスト教を受け入れたか?
2、 土着の神や仏教はその時どう扱われたか?
3、 異国の宣教師と異国の言葉に違和感はなかったのか?
4、 禁教令が出た時の反応は?信奉者全員が隠れ切支丹となったのか?
5、 本書のテーマである「神の沈黙」に疑念はおこらなかったのか?
6、 家族や仲間に対する迫害や拷問をどう見たか?
7、 殉教・殉死はどのように解釈するのか?
8、 ヨーロッパにも日本の禁教と迫害の様子は伝わっていたようだが、渡航の困難をおして、日本上陸し、宣教を試みる姿勢はキリスト教の教えによる「博愛」からか?
9、 棄教した主人公キアラ神父は80歳以上まで生存したが、その間の心理は?
10、 作家遠藤周作は、「神の沈黙」についてどう解釈したのだろうか?

 新潮文庫の佐伯彰一氏の解説によると、「神は果たして存在するのかという怖ろしい問いに答えがあたえられた訳ではなかった。しかし、ロドリゴの背教が、じつは神への裏切りではなく、キリストは棄教者の足で踏まれつつ、これを赦していたという信仰の畏るべき逆説」と書いています。そして「沈黙」はカトリック教徒のけわしい信仰の隘路をたどり、超カトリック、普遍的な宗教小説としています。

 「深い河」では少し理解できたのに、「沈黙」ではまたキリスト教徒が理解できなくなりました。                                 以上


2017年3月1日水曜日

「嵯峨野明月記」 辻邦生

平成29年3月1日(水)
by Eiji.K

◇ 文庫本としては字が小さく、空白や段落がないのでなかなか進まなく、読みにくいので読み終わるのに時間がかかった。

◇ しおりを落とした場合、どこまで読んだかが分からなくなり、読み始める場所を探すのに苦労した。

◇ 嵯峨本のような美術工芸品に疎い身としては、格調が高く、なじみのない世界なので入りにくかったが、芸術作品に携わる人たちの熱意や考え方に触れることができ、歴史の重みのようなものが感じられた。

◇ 日本の歴史の中で小説等で最も題材として扱われているのが戦国時代と幕末・明治維新であるが、その扱われ方は英雄などの歴史勝者の視点からのものが圧倒的に多い。この作品は、職人という庶民側の立場から歴史を見ており新鮮さがある。

◇ 信長の本能寺から関ケ原までの歴史はそれまでの日本人が経験したことのない激動期であったことを示唆している。関連して、第二次世界大戦の敗戦後の日本の高度成長期は後の歴史から見ると日本人の考え方、家・家族主義、地縁・血縁、自然とのつながり、風俗・習慣等を一変させた戦国時代の激動期と同じぐらいの変化であったと見られるのではないかと想像した。

◇ 万(ま)城目(きめ)学の「プリンセス・トヨトミ」という本で、大阪人はいまだに太閤を慕い、崇めているという内容が書かれていたが、辻邦生の本からも秀吉が実施した大茶会、花見、朝鮮征伐等の影響は大阪人や関西人に与えた感動が大きかったことを読み取ることができ、政治・経済・文化の中心は関西であったことを改めて感じる。

◇ 優れた作品を後世に残すという生への充実と自然に同化するという悟りのような境地に入れた本阿弥光悦、芸術作品を完成できた俵屋宗達、事業家として世のため人のために貢献できた角倉素庵、このような人たちがその後の文化・芸術分野における日本人の模範として受け継がれているのだろう。


               

2017年1月11日水曜日

「木を植えた人」  ジャン・ジオン

平成29年1月11日(水)
by Eiji.K

◇ 短編の寓話であるが、読後感が非常に爽やかで心地よい。

◇ 当方にとって何が心地よいのか考えてみると次の2点にあると思う。

◇ 趣味で山登りをしているが、山に行く理由はいろいろあるが、一言でいう  
  と自然の中にとっぷりと浸り、自然に同化する心地よさを感じることにあると思っている。ほとんどの山は樹木で覆われた森の中にあるので、自然=森であるともいえる。その森を作り出す話なので共感を感じる。

◇ もう1点は15年近く、つるがしま里山サポートクラブで「市民の森」の整備活動を継続しているが、整備方法は森を放置していると雑草が侵食し、森に入れなくなるので、現状を維持すべく草刈り・ゴミ拾いと伐採が中心なっている。
現状における鶴ヶ島市の樹林地や緑地はここ数十年で急速に宅地化・工場化されており、日本全体の里山減少の縮図のようになっている。
森を増やすという試みは明治神宮の森など一部の例あるが、日本全体ではほとんど実施されていないのが実態である。
したがって、本に出てくる森を作るという作業・行為には共感とともに夢や希望を感じさせられる。
  ⇒人の住まなくなった宅地や廃業した工場跡地等を森に作り替える流れがそろそろ日本で始まらないかと期待している。 

◇ 本に出てくるフランス・フロヴァンス地方と日本の風土はかなり異なっている。日本では荒地は何もしなくても数年間で森になっていく温帯地帯にある温暖湿潤気候であるが、ヨーロッパの荒地は自然のままではなにも変わらず、人為的な作業が必要となる気候である。
ヨーロッパで見られる延々と続くブドウ畑や牧草地は尽力の賜物である。日本は、森再生には恵まれている風土であることを喜ぶべきである。


以上

2016年12月10日土曜日

「収容所から来た遺書」  辺見じゅん

平成28年12月7日(水)

by Eiji.K

◇  私の「シベリア抑留」というイメージは、極寒の中、過酷な重労働により栄養失調や過労でバタバタ死んでいった捕虜達の悲惨な話ということであったが、その詳細な実態を読んでみると、実に様々な出来事や状況があったことを知ることができ、これも読書することの良さの一つである。

◇  この本にも出てくる瀬島龍三について書かれた山崎豊子の「不毛地帯」で瀬島龍三は功成り遂げた晩年、シベリア抑留の会報作成を最後の仕事として続けていたことが書かれていたが、体験者には忘れることができない重い経験であったのだろうと思う。

◇    権力による基本的人権の侵害事例としてシベリア抑留では民主運動による密告、理不尽な裁判、監獄生活が出てくるが、特に共産圏でこの流れは絶えることなく変わらず、歴史的に東欧諸国、特に有名なのは東ドイツでの秘密警察シュタージ、中国での文化大革命等があるが、いまだに北朝鮮等では現存することに憤りを感じる。

◇    中国では満州国時代に作られた建造物が現存しているが、シベリアでも捕虜たちが作らされたものが今でも残っているのではないかと思う。

◇    日本人は故国から離されて他国で望郷の念を思うということを建国以来経験していない(アメリカ移民、ブラジル移住等希望したものはあるが。)。強制連行されたシベリアは日本とは全くかけ離れた自然環境であり、9年間も過ごせばその思いは一層強くなるだろうが、日本は、そのような経験をしにくい海で囲まれた国であるとともに、現在のシリアのように国が内部分裂し、国の運営ができなくなるようなことを避ける知恵と知見と努力を先人たちが力を合わせて勝ち取ってきた歴史があり、国としての誇りであると思う。

◇    山本幡男の遺書をみんなで分担し、記憶して家族に伝えるという結束力、団結力を引き出したのは山本幡男の尊敬できる人格・能力の賜物であり、彼の逆境に強い意志の強さの結果なのだろう。


◇    解説で、吉岡忍は「人間の本質的な不思議さは、ひょっとしたら(山本幡男が持っていたような)この夢見る能力にあるのかもしれない。」と感じたといっているが、同感である。そうした能力を発揮できるためには、優れた状況判断力、鋭い洞察力、高い教養等の資質に裏打ちされたものなのだろうと思う。              以上

2016年11月2日水曜日

「無私の日本人」 磯田道史

平成28年11月2日(水)
by Eiji.K

◇ 穀田屋十三郎

 ・映画「殿、利息でござる!」の原作である。
 ・本の登場人物は映画になった俳優のイメージがあると身近に感じられる。
  穀田屋十三郎…阿部サダヲ 菅原屋…瑛太 甚内…妻夫木聡
 ・穀田屋は現在でも酒造メーカーとして宮城県黒川郡大和町に現存している。
  ・日本人の心を解明しようとした作家として著名なのは司馬遼太郎である。歴史上の人物を通して膨大な資料を読みこなし・駆使して追求した作家であるが、司馬遼以後、その作業を受け継いでいる作家は磯田道史ではないかと思っている。

<印象に残った文章>
 ■ 江戸時代は徒党というものが蛇のごとくに嫌われた。
   3人以上が密かに集まり、御政道について語れば、謀反同然の行為とみなされた。
   ⇒明治以降の日本の政党政治がみすぼらしいのはこれの影響があるのか。
 ■ 徳川時代の武士政権は、もともと軍隊であり、民政についてはほとんどを領民に任せている。
   有力農民を選んで庄屋(肝煎)に任命し、村単位での徴税と民政を請負わせた。 
 ■ 江戸時代の日本の人口 3000万人 庄屋数は50万人 百姓の50人に1人は庄屋である。
   庄屋=行政官・教師・文化人・報道機関であり、この国を下から支えていた。
 ■ 藩の役所はことなかれ主義で動いている。 事例行政は奈良・平安の律令官吏から始まり、鎌倉・室町幕府をへて江戸時代に引き継がれ本格化した。
⇒現代でも残る官僚主義は長い歴史の産物であるといえる。
 ■ 江戸期の庶民の「親切・やさしさ」はこの地球上のあらゆる文明が経験したことがないほどの美しさを見せた。倫理道徳において一般人がこれほどまでに端然としていた時代も珍しい。
   ⇒吉岡宿の上町の行動に対して、下町の庶民はじっとしていることができず自主的に町の有力者に声をかける行動に出た。
   ⇒日本の江戸期に作者の言う「親切・やさしさ」がどのように成立してきたのかその経緯が知りたいと思う。
 ■ 江戸人は庶民に至るまで「体面」というものの占める割合が著しく高かった。
   ⇒吉岡宿の下町の人がだれも金を出さないと上町の住民に対し体面がたたない。
 ■ 江戸社会は、その人の身分に応じた行動を取ることが約束事として成り立っている社会である。
   ⇒身分に応じた振り舞をせよとの戒め
   ⇒身分制がなくなった現代は、身分制の利点でもあった人の行動規範までなくなってしまっている。
 ■ 江戸時代の日本人の公共心は、世代をタテに貫く責任感で支えられていた。
   「そんなことをしたらご先祖様にあわせる顔がない。きちんとしなければ、子や孫に申し訳ない。」
⇒家の永続、子々孫々の繁栄こそ最高の価値と考える一種の宗教
■ 十三郎たちは、約束した金額を準備できなかった場合、切腹の覚悟をしていた。
⇒切腹は武士だけの潔さではなく、庶民も廉恥や、面目が立たない場合の対処方法として実行されていた行為である。このすさまじさはどこから出てくるのだろうか。
■ これだけの善行をしたにもかかわらず、十三郎たちは、遺言でそれらの行動を人に伝えるなと言っている
⇒日本人の奥ゆかしさであるが、現代においては廃れてしまったものではないかと思われる。


◇ 中根東里

 ・若い頃から中国語を学び、四書五経等の儒学を中国語で理解できる中根東里という天才を題材に取り上げるのは、司馬遼の取り組み方と共通しているが、その素材を通じて現代においても
共感し、蘇らす展開力・手法がイマイチである。(司馬遼の描いた戦国武将、坂本龍馬、河井継之助等の書き方)


◇ 太田垣蓮月

 ・司馬遼には女性を主人公にしたものはほとんどないが、この作家は書けそうである。
<印象に残った文章>
■ 江戸人の手指へのこだわりはすさまじい。和服は体の線を隠し、手だけをのぞかせる。
⇒手指よりも襟元がポイントとなったのではないか。

◇ あとがき

・自他と峻別し、他人と競争する社会経済では「経済成長」が価値観の中心となってくるが、「そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか」と作者は問いている。
・本来、日本人が持っている“不幸になることは、隣よりも貧しくなることではない。”というきちんとした確信が失われることが怖い。
・落とした財布が戻ってくる国の方がGDPの競争よりも大切である。
・上記の3人物に共通するのは、“ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。”
  ⇒浄化の力を宿らせた無私の日本人は現代でも存在することができるのだろうか。

以上