2011年5月11日水曜日
「仏果を得ず」 三浦しをん
by Eiji.K
◇ 文楽を見たことは2回ある(広島にいた時に徳島県での人形浄瑠璃と昨年、京都旅行で)が、伝統芸能を“見学”として見ただけであった。
この小説により文楽の世界を垣間見ることができたのは、知らない世界を見せてくれる小説の醍醐味・良さの一つである。
◇ 伝統芸能を継承することは、その道を極めるために日々精進する世界である。その世界は、厳しい未知の領域であり、徒弟制度、上下関係等堅苦しいイメージがあるが、この小説の登場人物は、各々個性があり、特に主人公の健太夫の行動・感性にユーモアがある。
笑える内容の小説は非常に少ないので、この本は楽しく読めた。
◇ 各演目は、演じる人物像を把握するために健太夫が悩み、それを健太夫が試行錯誤しながら克服していく内容となっており、各テーマを現代の視点から考えていく設定・構成は作者の力量によるのだろう。
◇ “300年以上にわたって先人達が蓄積してきた芸をたった60年で後進たちに伝承し、自分自身を磨き切る自信と覚悟があるのか。”という兎一郎のセリフが伝統芸能継承の神髄であると思う。
◇ 重鎮である帥匠たちは、長時間に及ぶ重要な段を毎日語り続け、力量・体力とも若い健太夫よりも優れているとあるが、人間国宝に該当する人とはそういうものだろう。
◇ 歌舞伎の世界は、血による世襲制度がいまだに守られ、継続されているが、文楽の世界では、研修所出身者にも道が開けているようであり、進んでいると言える。
◇ 表題の「仏果」とは、“仏語で仏道修行の結果として得られる、成仏(じょうぶつ)という結果”であるが、それが得られずとあるので、死ぬまで芸を追求するということをいっているのだろうと思う。
以上
2011年2月2日水曜日
「無名」 沢木耕太郎
by Eiji.K
◇ 作者の父親の思い出を綴っているが、自分の子供の時や青年期の思い出でを語っている面もある。
◇ この本を読むと、私の父親のことを思い出し、比較してしまうことが多かった。
◇ “子供は親のことなどほとんど知らないまま見送る時を迎える。”とあるが、確かに自分の父親のことは父親の幼年期や戦争体験、父親の親のことなどほとんど知らないまま見送っている。
では、自分の息子達に自分のことを知らせてきたかを考えると、ほとんど知らせてはいないと思う。普通の親は、知らせる機会がなく、あえて知らせることは気恥ずかしい気がする。
◇ なお、自分の母親のことでは、それなりに話すことが多かったように思う。(長生きしていることにもよる。)
◇ この小説では、父親は畏怖する存在として親に対するこども(息子)の思いが、思い出を通して色々な場面で書かれている。
このような存在である親は、こどもにとって、ある種の理想像であると思われるが、現代における父親と子の関係をどのようにしていけばよいのかを考えさせられる。
◇ 個人的な父親の思い出
・映画に連れて行かれたこと。 ・家に倉庫を独力で作ったこと。
・川をおんぶされ泳いだこと。 ・勉強しろと言われたことがないこと。
・怒られた記憶がないこと。 ・釣りに連れて行かれたこと。
・仕事のオートバイに乗せられたこと。・父と争ったことがないこと。
・病気のこと。
以上
2010年12月3日金曜日
「いつも心に音楽が流れていた」
著者:柳田邦男
平成22年12月1日(水)
by Eiji.k
◇ 作者にとって、クラッシック音楽を聞くことは、少年時代の心模様(ひたすら美しいもの、精神的なものを求める)に蘇ることになるといっている。60歳を過ぎた現代においても少年時代に聞いたクラッシック音楽等を聞くと同じような心情(生きるエネルギーをその発祥の源からくみ取りなおす心の作業)になれるということは素晴らしいことであると思う。
◇ 当方では、少年時代に聞いた音楽(ポップス等)を聞く機会があっても、懐かしさは感じるが、少年時代の心境に戻ることができないのは感性の資質の問題なのだろう。
◇ “幼少期や青春時代に美しいものにひたる経験は生涯の生き方を左右するほど大事なこと”と作者のいうことは理解できる。当方にとってその経験は自然の中で遊んだことではないかと思う。今(中高年)になって、山登りや里山作業等することはそのことが影響していると思われる。
◇ なかなかできそうにないことややれそうにないことがあるとき「できたらいいな」「なれたらいいな」と思うことにより、自分に対して素直見なれるし、他者に対して謙虚になれるという作者の指摘は感銘する。
◇ 作者は、現在の子ども環境を心配し、“育児・教育で一番大事なことは、考える力、自分で生きる力、他者の痛みを思いやる感性、文脈を理解する力を身につけさせること”といっており、それらの力を身につけさせるためには、バーチャルメディア(ゲーム、ビデオ、パソコン、ケータイ)から身を守ることが必要であるといっている。そのための提案として、
・親による絵本の読み聞かせ ・あらゆる市町村に絵本館を作る
・学校での朝の読書の全校化 ・学校図書館の充実と司書教諭の配置
・1週間のノーテレビ、ノーゲームデ―の実施(3か月に1回)
・育児講習への男性の参加 ・教育おやじフォーラムの開催
平成22年12月1日(水)
by Eiji.k
◇ 作者にとって、クラッシック音楽を聞くことは、少年時代の心模様(ひたすら美しいもの、精神的なものを求める)に蘇ることになるといっている。60歳を過ぎた現代においても少年時代に聞いたクラッシック音楽等を聞くと同じような心情(生きるエネルギーをその発祥の源からくみ取りなおす心の作業)になれるということは素晴らしいことであると思う。
◇ 当方では、少年時代に聞いた音楽(ポップス等)を聞く機会があっても、懐かしさは感じるが、少年時代の心境に戻ることができないのは感性の資質の問題なのだろう。
◇ “幼少期や青春時代に美しいものにひたる経験は生涯の生き方を左右するほど大事なこと”と作者のいうことは理解できる。当方にとってその経験は自然の中で遊んだことではないかと思う。今(中高年)になって、山登りや里山作業等することはそのことが影響していると思われる。
◇ なかなかできそうにないことややれそうにないことがあるとき「できたらいいな」「なれたらいいな」と思うことにより、自分に対して素直見なれるし、他者に対して謙虚になれるという作者の指摘は感銘する。
◇ 作者は、現在の子ども環境を心配し、“育児・教育で一番大事なことは、考える力、自分で生きる力、他者の痛みを思いやる感性、文脈を理解する力を身につけさせること”といっており、それらの力を身につけさせるためには、バーチャルメディア(ゲーム、ビデオ、パソコン、ケータイ)から身を守ることが必要であるといっている。そのための提案として、
・親による絵本の読み聞かせ ・あらゆる市町村に絵本館を作る
・学校での朝の読書の全校化 ・学校図書館の充実と司書教諭の配置
・1週間のノーテレビ、ノーゲームデ―の実施(3か月に1回)
・育児講習への男性の参加 ・教育おやじフォーラムの開催
2010年11月4日木曜日
「光媒の花」
著者:道尾秀介)
平成22年11月3日(水)
by Eiji.K
いかにも小説らしい小説、これぞ小説の世界であるという印象であり、本を読む楽しさを感じさせる作品である。
山本周五郎賞受賞作品であり、今年度直木賞候補となった。
6篇の短編で構成されているが、連作となっており、その関連に作者の力量を感じる。
「隠れ鬼」
■ 認知症の母親とひっそり暮らす男性の封印された過去
○ 高校3年生が別荘地で父親の愛人を殺してしまい、それを知った父親が自殺するという哀しい内容である。
○ このような殺人者のその後の人生について、“しかし本当の私は、他人の人生を壊し、自分の人生を壊し、老いはじめた身体で途方に暮れている一人の殺人者なのだ。” と言わせているが、殺人等の罪を犯した者は、たまたま法的に罰せられずにいても、まっとうな陽のあたる人生を過ごすことはできないのではないかと思う。
「虫送り」
■ ホームレス殺害に手を染めた小学生兄妹が抱く畏れ
○ 性的にいたずらされた復讐としてコンクリート片を落とすという幼い行為であるが、なにかやりきれなさの残る内容である。
○ 浮浪者の大人が幼い子供達に対し、子供達が人を殺したと思わせる言動は、後になって殺していなかったことがわかるが、子供のころから殺人という罪の意識を持たせることは、上記の大人のような人生になってしまうことになるため、非常に残酷な行為であり、人として許せないことである。
「冬の蝶」
■ 密かに心を通わせた少女のために少年がついた嘘
○ この短編で浮浪者を殺したのは幼い子供達ではないことがわかるが、そのことを誰にも告げていなく、問題解決にはならないことが、心残りと思ったが、
連作の最後にキチンと整理している。
○ 経済的な貧困や厳しい生活環境の中でどうしようもない現実に流されている幼い中学生(サチ)の状況をよく現わしている。そのような中での純情が痛ましく、胸を打つ。
○ この男子中学生が浮浪者を殺す浮浪者となるが、暗い人生は継続する。
「春の蝶」
■ 両親の諍い機に、耳が聞こえなくなった少女の葛藤
○ 中学生で人を刺したサキのその後の人生が気になっていたが、真面目な社会人となっていることが分かり安心する。
○ 幼い少女(由希)が嘘を続けなければならない哀しさ・優しさと娘の教育のために嘘をついた親(牧川老人)の話であるが、老人の“娘の顔つきがやわらいできているような気がしていた。”とあり、今後の明るさを感じさせるところに救いがある。
「風媒花」
■ 病に伏せる姉を見舞う配送ドライバー青年の誤解
○ 母と弟の仲たがいを解消するために仕組んだ姉の細工(カタツムリの涙)は成功した。姉は花の咲かない風媒花ではなく、虫媒花であった。
○ 心温まる結末に安心する。
「遠い光」
■ 自信を失った女性教師と孤独と戯れる教え子の希望
○ 「虫送り」の小学校の男子生徒がでてきて、河原のおじさんが警察に自首し、“僕も妹も本当のことを知って、ほっとしたけど、でも哀しかった“と言わしている。最後に正しい「落ち」を示していることが分かる。
○ 最初の「隠れ鬼」に出てくる判子屋が出てきて、判子屋の母親を娘だと誤解している「朝代」に対し、“きみも……ありがと”と涙ぐむ判子屋の情景がいい。
○ “光ったり翳ったりしながら動いている世界”の中で“現実はもっと明るく光っていることを忘れてしまう。”ということを作者は言いたいのだろうと思うが、少し、技巧が入りすぎている描写ではある。
以上
平成22年11月3日(水)
by Eiji.K
いかにも小説らしい小説、これぞ小説の世界であるという印象であり、本を読む楽しさを感じさせる作品である。
山本周五郎賞受賞作品であり、今年度直木賞候補となった。
6篇の短編で構成されているが、連作となっており、その関連に作者の力量を感じる。
「隠れ鬼」
■ 認知症の母親とひっそり暮らす男性の封印された過去
○ 高校3年生が別荘地で父親の愛人を殺してしまい、それを知った父親が自殺するという哀しい内容である。
○ このような殺人者のその後の人生について、“しかし本当の私は、他人の人生を壊し、自分の人生を壊し、老いはじめた身体で途方に暮れている一人の殺人者なのだ。” と言わせているが、殺人等の罪を犯した者は、たまたま法的に罰せられずにいても、まっとうな陽のあたる人生を過ごすことはできないのではないかと思う。
「虫送り」
■ ホームレス殺害に手を染めた小学生兄妹が抱く畏れ
○ 性的にいたずらされた復讐としてコンクリート片を落とすという幼い行為であるが、なにかやりきれなさの残る内容である。
○ 浮浪者の大人が幼い子供達に対し、子供達が人を殺したと思わせる言動は、後になって殺していなかったことがわかるが、子供のころから殺人という罪の意識を持たせることは、上記の大人のような人生になってしまうことになるため、非常に残酷な行為であり、人として許せないことである。
「冬の蝶」
■ 密かに心を通わせた少女のために少年がついた嘘
○ この短編で浮浪者を殺したのは幼い子供達ではないことがわかるが、そのことを誰にも告げていなく、問題解決にはならないことが、心残りと思ったが、
連作の最後にキチンと整理している。
○ 経済的な貧困や厳しい生活環境の中でどうしようもない現実に流されている幼い中学生(サチ)の状況をよく現わしている。そのような中での純情が痛ましく、胸を打つ。
○ この男子中学生が浮浪者を殺す浮浪者となるが、暗い人生は継続する。
「春の蝶」
■ 両親の諍い機に、耳が聞こえなくなった少女の葛藤
○ 中学生で人を刺したサキのその後の人生が気になっていたが、真面目な社会人となっていることが分かり安心する。
○ 幼い少女(由希)が嘘を続けなければならない哀しさ・優しさと娘の教育のために嘘をついた親(牧川老人)の話であるが、老人の“娘の顔つきがやわらいできているような気がしていた。”とあり、今後の明るさを感じさせるところに救いがある。
「風媒花」
■ 病に伏せる姉を見舞う配送ドライバー青年の誤解
○ 母と弟の仲たがいを解消するために仕組んだ姉の細工(カタツムリの涙)は成功した。姉は花の咲かない風媒花ではなく、虫媒花であった。
○ 心温まる結末に安心する。
「遠い光」
■ 自信を失った女性教師と孤独と戯れる教え子の希望
○ 「虫送り」の小学校の男子生徒がでてきて、河原のおじさんが警察に自首し、“僕も妹も本当のことを知って、ほっとしたけど、でも哀しかった“と言わしている。最後に正しい「落ち」を示していることが分かる。
○ 最初の「隠れ鬼」に出てくる判子屋が出てきて、判子屋の母親を娘だと誤解している「朝代」に対し、“きみも……ありがと”と涙ぐむ判子屋の情景がいい。
○ “光ったり翳ったりしながら動いている世界”の中で“現実はもっと明るく光っていることを忘れてしまう。”ということを作者は言いたいのだろうと思うが、少し、技巧が入りすぎている描写ではある。
以上
2010年10月6日水曜日
「凍」 沢木耕太郎
by Eiji.K
◇ 本を読んでいながら話の展開により場面によっては、「手に汗握る」という経験をしたが、今までにこのようなことは余りなかったことである。
◇ 本来小説とは、このように一気に読ませるものであると思うが、最近のものではそのような小説は少なくなっている。この小説は、特異な、奇異な題材であり、非日常的な世界を知ることができたことと、ノンフィクションとしての作者の力量が感じられる点で非常に面白かった。
◇ 解説の最後に山野井夫妻がグリーンランドで岸壁に挑戦し、登頂に成功する話が出ているが、このドキュメントをNHKで放映している。その映像を2回見ているので山野井夫妻の二人の表情、話し方がよく分かる。そのため、この小説での二人の会話や行動が目に浮かぶことができ身近な存在として臨場感がもてた。
◇ アルパイン・スタイルによる登山は、死の危険と隣り合わせのやり方であり、そのような極限状態での行動が我々の安全・安穏な日常生活と対比し、
感動を呼ぶし、なにか鼓舞されるものがある。
◇ 当方は、中高年の登山を始めて10年近くになるが、少ない登山経験から言えるのは、冬山は全く別世界の登山であり、経験を積まないと手に負えない領域である。気温がマイナスになると、全ての行動がほとんどできなくなる経験をしている。したがって、マイナス30度近くの岸壁テラスで夜を過ごすことなど考えられない。また、標高差1000m程度の山を登るだけで精一杯なのに登山道ではない岸壁をよじ登ることなどは若い頃からの実績がないと無理である。さらに、空気が三分の一の世界も全く想像ができない。
◇ 多少の危険がある岩場を経験すると、その達成感から、もっと危険な場所を目指してみたいという誘惑に襲われるが、現状では中高年の節度が優先し、危険は回避している。しかし、プロの登山家の宿命としてより困難な挑戦をしたいという感覚はそれなりによくわかる。
◇ 本を読んでいながら話の展開により場面によっては、「手に汗握る」という経験をしたが、今までにこのようなことは余りなかったことである。
◇ 本来小説とは、このように一気に読ませるものであると思うが、最近のものではそのような小説は少なくなっている。この小説は、特異な、奇異な題材であり、非日常的な世界を知ることができたことと、ノンフィクションとしての作者の力量が感じられる点で非常に面白かった。
◇ 解説の最後に山野井夫妻がグリーンランドで岸壁に挑戦し、登頂に成功する話が出ているが、このドキュメントをNHKで放映している。その映像を2回見ているので山野井夫妻の二人の表情、話し方がよく分かる。そのため、この小説での二人の会話や行動が目に浮かぶことができ身近な存在として臨場感がもてた。
◇ アルパイン・スタイルによる登山は、死の危険と隣り合わせのやり方であり、そのような極限状態での行動が我々の安全・安穏な日常生活と対比し、
感動を呼ぶし、なにか鼓舞されるものがある。
◇ 当方は、中高年の登山を始めて10年近くになるが、少ない登山経験から言えるのは、冬山は全く別世界の登山であり、経験を積まないと手に負えない領域である。気温がマイナスになると、全ての行動がほとんどできなくなる経験をしている。したがって、マイナス30度近くの岸壁テラスで夜を過ごすことなど考えられない。また、標高差1000m程度の山を登るだけで精一杯なのに登山道ではない岸壁をよじ登ることなどは若い頃からの実績がないと無理である。さらに、空気が三分の一の世界も全く想像ができない。
◇ 多少の危険がある岩場を経験すると、その達成感から、もっと危険な場所を目指してみたいという誘惑に襲われるが、現状では中高年の節度が優先し、危険は回避している。しかし、プロの登山家の宿命としてより困難な挑戦をしたいという感覚はそれなりによくわかる。
2010年9月1日水曜日
「知性の磨きかた」
著者 林望
平成22年9月1日(水)
by EK
[学問の愉しみ]
◇ 作者も言っているが、知性を論じること自体がその人の独断と偏見によるものとなる。それだけ知性とは簡単に解明し、提示することが難しい代物であると思う。
この本は作者の個性に基づくエッセイであり、共鳴できるところもあるが、反発・疑問に感じるところも多々ある。
◇ 「一芸を身につける。」ことがその他のことについても応用が利くようになる。→との指摘は実感できる。
◇ 学問は「知識」を得ることではなく、「方法」(研究史・注釈)を身につけることである。→との指摘は理解できるが、それができるのは頭が柔軟な若い時だけとの指摘は不遜である。(専門学者になるためならばよいが。)
◇ “若い時代というのは、何よりも自由な時間に富んでいるってことです。それが若いということの最大の意味です。”“若いときに仕込みをしなかった人は、そこで圧倒的に若い頃の「ツケ」を支払わされる。”→偏見である。
(“絶対的年齢ではなくてと”いっているが。)
◇ 学者や研究者は知性を身につけられる環境や機会があるが、官や会社の人は一般的にその組織の一歯車として経緯し、突然定年を迎えて呆然とする。等の表現は官や会社に対する一面的な見方である。むしろ、学者や研究者の狭い世界の問題点を考えるべきではないか。
[読書の幸福]
◇ 耳で聞く本の楽しみ→今度実践してみたいと思う。
◇ 本はすすんで汚すべし→蛍光ペンで線を引くことが本を読む充実感・満足感の印になっている。
[遊びは創造]
◇ 遊びの強迫感(連休や夏休みはどこかに行かなくちゃ)はある。→家に閉じこもり何もしないことは苦痛であり、作者のようなことはできない。
◇ “評価されなければ何にもならない”→学者的発想である。ボランティア等の無償の行為をどう捉えているのか。
by TI
納得する部分と、いやちょっと違うだろうと思う部分がある。物事を継続できる才能がある人たちばかりではないので、反発も出るのではないか。
要約すると、下記が言いたいのか?
(「学問の愉しみ」「読書の幸福」「遊びは創造」の章立てがタイトルに合っていないように思える。)
“知性を磨くとは、自分を確立し、方法論を学び、評価されるまで愚直に努力することである。”
・「知性」というものは、基本的に「方法」の有無に係っている。端的にいってしまえばそれは、ものの見方なんです。ものの見方
→ゼミの教授(会計学)からも同様のことを教えられ、社会に出て納得した部分である。
・知識は個別的なもの、方法は普遍的なもの。
・大学は方法を身につけさせる教育を行い、カルチャーセンターは知識を伝授する。
→受講だけで止まれば高尚な遊び、生かすことができれば教育になる。
・いい先生につくことが重要である。大学ではよい研究者はよい教育者である。
→実感できなかったが、重要と思う。探す努力をしなかった結果か。
・大学における学生の教員評価などアメリカ的なやり方の危険性
→企業における社員評価にも、アメリカ流の悪い面がでている。相手に媚びるようになる。
・福沢諭吉の「私の独立」 出世の方便に堕した学問 を非難。
→しかし、今でも続く「有名企業に入るために、有名大学に行く。」
・本居宣長「年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」
→要領よくなんて考える前に、寝る間を惜しんでやれ。但し、強い動機が必要
・読書は何のためにするのか?
→「その人にとっての意味」があればよい。(自分に役に立つ、楽しい)
・名著とは流行である。
→流行しているから読まなくては!
・団体旅行には、金をもらっても行かない。
→目的(安さ、気楽さ)のために妥協するのは、非難すべきことか?
・書評というのは、基本的に「この本読んでくださいね」というものでなきゃいけない。
→何を読むかの参考にしたくて書評を頼りにするのだから、その通りと納得。
・時間を有意義に過ごすとは、目的を持って生きることなんだ。
→目的を持つことの難しさがある。(会社員であってもできること)
・選択の自由があることが重要
→選択肢がありすぎることの、居心地の悪さ。ブランド品、セレクトショップ
・評価されなければ何にもならない。
→結果主義にならないか。プロセスが大事ではないか。
・諦めず、倦まず弛まず、いつも前を向いて、最善をつくして努力さえしていれば、やがて天がそれを認めてくれるだろう。
→そう信じることで、前に進めるのだと思う。
以上
平成22年9月1日(水)
by EK
[学問の愉しみ]
◇ 作者も言っているが、知性を論じること自体がその人の独断と偏見によるものとなる。それだけ知性とは簡単に解明し、提示することが難しい代物であると思う。
この本は作者の個性に基づくエッセイであり、共鳴できるところもあるが、反発・疑問に感じるところも多々ある。
◇ 「一芸を身につける。」ことがその他のことについても応用が利くようになる。→との指摘は実感できる。
◇ 学問は「知識」を得ることではなく、「方法」(研究史・注釈)を身につけることである。→との指摘は理解できるが、それができるのは頭が柔軟な若い時だけとの指摘は不遜である。(専門学者になるためならばよいが。)
◇ “若い時代というのは、何よりも自由な時間に富んでいるってことです。それが若いということの最大の意味です。”“若いときに仕込みをしなかった人は、そこで圧倒的に若い頃の「ツケ」を支払わされる。”→偏見である。
(“絶対的年齢ではなくてと”いっているが。)
◇ 学者や研究者は知性を身につけられる環境や機会があるが、官や会社の人は一般的にその組織の一歯車として経緯し、突然定年を迎えて呆然とする。等の表現は官や会社に対する一面的な見方である。むしろ、学者や研究者の狭い世界の問題点を考えるべきではないか。
[読書の幸福]
◇ 耳で聞く本の楽しみ→今度実践してみたいと思う。
◇ 本はすすんで汚すべし→蛍光ペンで線を引くことが本を読む充実感・満足感の印になっている。
[遊びは創造]
◇ 遊びの強迫感(連休や夏休みはどこかに行かなくちゃ)はある。→家に閉じこもり何もしないことは苦痛であり、作者のようなことはできない。
◇ “評価されなければ何にもならない”→学者的発想である。ボランティア等の無償の行為をどう捉えているのか。
by TI
納得する部分と、いやちょっと違うだろうと思う部分がある。物事を継続できる才能がある人たちばかりではないので、反発も出るのではないか。
要約すると、下記が言いたいのか?
(「学問の愉しみ」「読書の幸福」「遊びは創造」の章立てがタイトルに合っていないように思える。)
“知性を磨くとは、自分を確立し、方法論を学び、評価されるまで愚直に努力することである。”
・「知性」というものは、基本的に「方法」の有無に係っている。端的にいってしまえばそれは、ものの見方なんです。ものの見方
→ゼミの教授(会計学)からも同様のことを教えられ、社会に出て納得した部分である。
・知識は個別的なもの、方法は普遍的なもの。
・大学は方法を身につけさせる教育を行い、カルチャーセンターは知識を伝授する。
→受講だけで止まれば高尚な遊び、生かすことができれば教育になる。
・いい先生につくことが重要である。大学ではよい研究者はよい教育者である。
→実感できなかったが、重要と思う。探す努力をしなかった結果か。
・大学における学生の教員評価などアメリカ的なやり方の危険性
→企業における社員評価にも、アメリカ流の悪い面がでている。相手に媚びるようになる。
・福沢諭吉の「私の独立」 出世の方便に堕した学問 を非難。
→しかし、今でも続く「有名企業に入るために、有名大学に行く。」
・本居宣長「年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」
→要領よくなんて考える前に、寝る間を惜しんでやれ。但し、強い動機が必要
・読書は何のためにするのか?
→「その人にとっての意味」があればよい。(自分に役に立つ、楽しい)
・名著とは流行である。
→流行しているから読まなくては!
・団体旅行には、金をもらっても行かない。
→目的(安さ、気楽さ)のために妥協するのは、非難すべきことか?
・書評というのは、基本的に「この本読んでくださいね」というものでなきゃいけない。
→何を読むかの参考にしたくて書評を頼りにするのだから、その通りと納得。
・時間を有意義に過ごすとは、目的を持って生きることなんだ。
→目的を持つことの難しさがある。(会社員であってもできること)
・選択の自由があることが重要
→選択肢がありすぎることの、居心地の悪さ。ブランド品、セレクトショップ
・評価されなければ何にもならない。
→結果主義にならないか。プロセスが大事ではないか。
・諦めず、倦まず弛まず、いつも前を向いて、最善をつくして努力さえしていれば、やがて天がそれを認めてくれるだろう。
→そう信じることで、前に進めるのだと思う。
以上
2010年7月7日水曜日
「麗しき花実」 乙川優三郎
by Eiji.K
○ 江戸時代の美術工芸に携わる実在の芸術家の世界、および絵画・蒔絵の職
人の世界を知ることができたが、個人的には両世界とも最も疎い世界なので感情移入がしにくかった。
○ ストーリーの展開が余りなく、読了するのに時間がかかった。どちらかと
いうと読みにくい内容であった。
○ 本の初めにある写真により、蒔絵の世界(櫛・棗等)の一端を知ることが
でき適切な配慮である。
○ 芸術家・職人の制作する作品に対する機微の感情・考え方のとらえ方が精
緻であり、この作者の力量は素晴らしい。
○ 江戸時代の文京区(根岸・不忍池界隈等)の自然状態の描写、風物(料理
屋等)の表現も優れている。
○ 主人公「理野」の女性としての感情表現の細やかさと芸術創作に対する真
摯な態度には圧倒される。
○ 「胡蝶」の生き方のように「理野」も最終的に男にたよることをせず、職
人として全うできるのか、専門職業を持つ女性にとって、自らの力で自立
することは永遠の課題である。
○ 小説の最後に「胡蝶」が「原羊遊斎」から自立し、三味線で生きていくこ
と、「理野」も故郷に帰り蒔絵職人として旅立つことになり救われる感じ。
○ 落款の現実を知ると(本人ではなく、弟子の制作が多いこと。)現代でも同
様なことが行われているのだろうか。
○ “いつの時代も技芸に関わるものは伝統と創造の間でもがきながら自分を
見つけていくしかない。“
○ “女は老いても若さの燃えさしを抱き続けるようです。”
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